いい人なエンジニアによる裸突撃


タイトルがサッパリ何の意味だか分からない
タイトル、さっぱりイミフですよね。何かをするときに、自分のシナリオやそのシナリオを実現するのに必要な準備をしないで見積もりを出したり、ハタマタ、プロジェクトを実行するエンジニアがいるんですよ、ということです。
#ねぇ、ねぇ、そんなの聞いたら貴方もビックリしちゃうわよね?ねぇ〜?


顧客に見積もりを出すとき、必ず見積もりレビューします。はい。「俺の目の黒いうちは勝手に出させん!」です。手広くレビューアしているので、レビューイはベテランから初めてのお見積りまで様々なのです。
#商売繁盛というか、だれか引き取って欲しい...。


どうするつもりなの?
で、人が良すぎるエンジニアが見積もりを作ると、とんでもないものを持ってくる。すべてにおいて、性善説が前提で見積もり後に契約してトラブルがあったとき、その契約で戦うことを“まったく”考えていないのね。

「これ、プロジェクトになったらどう進めるの?」
「あーします。」
「こうなったら?」
「?...あぁ、そうですね。」
「でどうするの?」
「ダメですね。考えていませんでした。」
「いや、反省要らないから。寧ろ、顧客に出す前に分かってよかったじゃん。」
「ありがとうございます。勉強になります。」
「で、どうするの?」
「この場合は、こうすれば大丈夫です。」
「ふん、そうだね、それなら大丈夫そうだ。じゃあ、それここに書いて。」
「なら、これ、こうなったら?」
「...。」
「(おいおい、何考えているんだ?いや考えていないからか...。)」


準備しないではじめるのは裸で突撃するようなもの
思考の根底に、過去に経験した提案やプロジェクトでメンバだったりサブリーダだったりして、その役割で提案リーダやプロジェクトマネージャから頼まれた仕事の一部をした経験があっても、それは提案リーダやプロジェクトマネージャが“考えた”仕事の一部を分担しただけなのに、恰も“自分が考えて行動した”経験として自分の記憶に残っている、そんなものがあるのではないかなと思ってしまう。

自分の頭で考え、見える形でアウトプットして、それを有識者の“厳しい質問”に晒すことで鍛える。ところが、いい人なエンジニアは、自分で考え、形にしただけで、誰の厳しい質問に晒すことなく顧客と話し実プロジェクトとして進めても、“上手くいく”と思っているんだね。

この考え方には、善良な人だけで意思疎通することが前提で、すべて上手くいくし、もし何かあっても登場人物全員が“好意的に”且つ、“自律して”助けてくれる、という要求レベルの高いコンテキストが潜んでいるのではないか。
そんな気がしてならないですね。



顧客と戦うんじゃない、一緒に成功させるんだ
見積もりを作るとき、

「最も上手くいったらそれでいいけれど、もし、最悪のケースが生じたらどうするの?」
「工程内に顧客がレビューしてくれなかったら?」
「ハードウェアが期日に間に合わないかったら?」


それが実際に起きたら嫌だけれど、ケースとしては、

「最悪のときにこの見積もりで何を“武器”として顧客とテーブルにつくか」


を考えなておきなさいと言うことです。
顧客が悪の結社の手先ではないと思いたいですが、顧客を含めた案件、プロジェクトとして“そこまで考えていますよ”ということ事実としてわかるようにしておくことは大切です。表現はアウトプットによって形が変わりますが、何らかの形にして、ことが起きたら涼しい顔して「あぁ、それはこうするので。」と言えればいいのです。

いい人なエンジニアだって、案件を取りたいし、取った案件はプロジェクト化してこれも成功してほしいと思っているものです。それは顧客だって同じことで、「契約したんだから上手くやってよ。」と思っているものです。それを丸投げされないように、テーブルに着ける資料が提案書だし、プロジェクトキックオフのagendaだなのです。

決して、見積もりでもプロジェクト計画でも裸で突撃してはいけません。