プランAしか考えないプロジェクトマネージャはバカである

多分、失敗して嫌な気持ちになるのは仕事でのことが多いのではないかな、と思うのです。独身なら恋愛、いや失恋が大きいかな。人は本当に嫌だと思ったら、本能的に逃避するものですけれど。まぁ、でも失敗の死屍累々の上に自分がたっているのも事実だろうし。そう考えると、失敗に与えるのは罰ではなくて、プランBを考えさせることなのだよね、と思うわけです。


クドクド怒ることはプロジェクトマネージャの仕事じゃない
隣のプロジェクトで、プロジェクトマネージャがメンバを呼びつけて、あれこれ長い時間クドクドと怒っている。そばのメンバは慣れっこなのか、触らぬ神に祟りなし、なのか、知らんぷりだ。ハッキリ言ってうるさいし、成人した人間が成人した人間にやるようなことじゃない。プロジェクトマネージャなら、プロジェクトで発現しそうなリスクを識別して、エクスボージャのおおきなものに対策して、プロジェクトを導くのが仕事だ。


そう考えれば、クドクド怒ることはプロジェクトマネージャの仕事じゃない。上手くいくように仕向けるか、失敗したら、それをリカバリさせることだ。そもそも、失敗して怒るような仕事のさせ方自体、プロジェクトマネージャ自身が“最善しか起こらない”という期待値を最大限にしたプランAを立てているからであって、最悪を考えてプランBを考えていないからに過ぎない。その上、プランAしか考えていないにもかかわらず、プランAになるようにきめ細かく意思疎通をしたり、状況をポーリングしていなかったりする。
バカである。


失敗するのも仕事
プロジェクトマネージャの立場なら、すべてがベストのリソースで臨みたいものですが、そんなことがあるわけない。絶対にない。どのプロジェクトも必ず初めての要素があるから。だからこそ、プロジェクトなのです。同じチームで組んだとしても、作るシステムの要件が同じようなことはありえないのだから。


メンバだって、プロジェクトチームのメンバとして参画するのが初めてなら人間関係を一から創り上げないといけないし、チームは同じでも役割が違うかもしれない。それに、適用する技術が初めてかもしれないし、開発方法も初めてかもしれない。


だからこそ、誰でも、ベテランだろうが若葉マークのエンジニアだろうが、失敗する可能性を誰も否定できないのです。ただ、経験に裏付けされる実績の広さ、深さによって、失敗するか成功する科の確率が違うだけ。


そう、誰でも失敗する要素を持っているということ。誰も失敗するなら、失敗することも仕事なのではないか、とさえ思えてしまう。


人は失敗が一番学ぶ機会なのだ
エンジニアが失敗する機会はたくさんあるわけです。それこそ、そこここに。そんなことをいちいち気にはしてられない。3点見積もりで最悪のケースを見積もるのは、その最悪が起きる可能性があるからです。その最悪なことは見積もりでもプロジェクト計画を立てるときでもリスクマネジメントの一環で考慮するものです。だからこそ、メンバというリソースのリスクの有無を識別しているのであれば余り考えたくはないけれど、スキルのアンマッチだって、一つのリスクとして考えておかなければならないことの一つです。


つまり、「失敗することも考えているだろう?」ということです。メンバの失敗を考慮しているのであれば、プロジェクトマネージャとしてスケジュールにバッファを脊髄反射のように隠して埋め込むものです。それをクドクド叱るなんて、バカげた罰に他ならないのです。


そんなことをするより、“二度と失敗することが嫌だ”と学ばせることの方が何倍もマシだし、生産的です。なぜなら、負の思考がないから。失敗することを肯定しないが、失敗することは仕方がない。でもそのリカバリはしなければならない。失敗した原因の本質を導く工程を一緒に考え、リカバリ案を本人に作らせる。そして、そのリカバリ案でできるかポンチ絵のような簡単な書きものにして試行させて、自信をつけさせて、リカバリをトライさせる。

クドクドと罰を与えるなんてバカげたことで、“二度と失敗することが嫌だ”と学ばせるやり方をさせようと腹に力を入れて結審した方が、プロジェクトマネージャ自身の精神が健やかに保てるものです。