マネージャが部下を育成するのはマネージャ自身を育てるのではないか

マネージャの仕事の一つに部下の育成があります。この部下の育成の真の目的は、部下を育てることではなくてマネージャの忍耐力じゃないか、と思えてならないくらい大変です。自分の子どもだって子ども自身が意思を持っているから思うようにならないと悟っているのに、社会に出てきている大の大人を育成する必然性が分からない。大体、大人だけにその意思は確固たるモノになっていることも多くて、いくら育成を促しても表面だけYesというのに実行が伴わない部下もいたりするわけで。



育てたように子は育つ
随分前の新聞に相田みつをの言葉が載っていて、それが“育てたように子は育つ”というもの。丁度、子どもが生まれた頃で関心があったのだろうな。当たり前なんだけど、生まれたばかりの子どもとは言語が通じないから意思疎通なんて出来ないし、歩くようになっても大人のようにはコミュニケーション取れやしない。それが当たり前のことだし、子どもとはなすときに「ばぶー」とか「よちよち」とかなぜか赤ちゃん言葉になって子どもの目線まで自然と降りて、接するのだ。


そんな子どもも、ちょっとずつ大きくなって自分の意思で行動するようになるのだけれど、当たり前のように子どもの意思判断で行動する。幸いにも子どもを持つことが出来た人は、ここで学ぶのだ。


子どもは思うようにならない”と。


幾ら親が良いだろうと思って買ってきたおもちゃだって子どもが気に入るとは限らない。絵本を買ってきても読むとは限らない。でも、子どもの半分くらいは、じまじろうが大好きだ。全く、何を考えているのか分からない。親なのに。だからといっていい加減に生活していると、子どもは親の真似をする。それを家の中でやるならまだ許せるけれど、外でやったりする。それは、


育てたように子は育つ


なのだ。子どもは真似る動物だ。だから、いつも一緒にいる親の真似をする。親がいい加減な生活をしていたら子どもはそれを真似ることで親と同じ群れであることを示すのだろう。


部下だって“育てたように部下は育つ”
マネージャで部下を持っているなら、それ、つまり子どもを育てるのと同じなのだと思う。部下だって家(=組織)の家風や生活習慣(=ルール)があるなら、それに合うように、組織の求める方針に合うように育てる必要があるのだ。


でも、子どもと同じように意思があり、自分で判断して行動している限り、言えば言ったように行動するとは限らない。いや、多分、指示した側のイメージと同じようにすることはないのだ。


子どもを持っていたり接することがあって子どもの特性を理解しているなら、部下の育成だって押し付けにしない。だって、言っても聞かないんだから。だから、絶対に押し付けるように言わない。それはムダ。でも、“育てたように子は育つ”のも真であるから、何らかしないとただ見よう見真似で育ってしまう。それも一長一短あるのでどうにかしたい。


どうするか。一つは親であるマネージャがやって見せること。真似てもらう。親の振る舞いを見て“育てたように子は育つ”のだ。そして、忍耐強く刷り込むのだ。毎日。子どもが毎日親の話す言葉を聞いて覚えるように、部下にも毎日話し、見せ続けるのだ。


そう振り返ると、マネージャが部下を育てる行為は、実はマネージャ自身を育てるための場であってそれも継続して背中を見せたり、刷り込んだりする忍耐力を鍛えられているのではないか、と思うのだ。