一人前のエンジニアとそうでないエンジニアの差は求めるか与えるかではないか


組織のエライおじさんとプロジェクトマネージャの育成ネタについて話していたときに悶々と思っていたことなんですが。お上品なのかどうかわからないけれど、「受身のエンジニアが多くない?」って話になったとき、エンジニアもそうだけれど、「プロジェクトマネージャが受身なんてありえないですよねー。」って。プロジェクトチームを中心としてぐるっとその周りの関係者のインタフェースはみんなプロジェクトマネージャが主導権を取らないと自分が書いたプロジェクト計画のとおりに進まないもん、って。


エンジニアもプロジェクトマネージャも第一線のプロフェッショナルと呼ばれるような人なら、「自分で勝手にコミュニティを作るくらいになって、○○組のような感じでやりすぎたっていいくらいだと思いませんか。」って言ったんですよ。エライおじさんも同調してくれて、「そういった後進育成を積極的にすることも仕事のうちだよ。」って意見が一致してその場はお開きになったんですが、一人前のエンジニアとそうでないエンジニアのとどこが境界線なんだろうって。


一人前でないエンジニアは何かしら与えられて過ぎている
プロフェッショナルなエンジニアだと組織の中でも片手くらいでしょうから、ちょっと凄すぎてもうちょっと範囲を広げた方がより具体的な人物像のイメージが持てていかもしれません。なので、それで話を進めます。なので、エンジニアが一人前なのか、それに到達していないかで考えます。


一人前でないエンジニアとは、一人で仕事が完了できない状態です。だから先輩や上司に見てもらって、間違いや抜け漏れを見て貰わないと仕事が完了しない。そこには、先輩や上司のノウハウをOJTで与えられているような状態である、と。


最近の社外の勉強会だと、若手の方が仕事をして“こんなことをやってみた”、とか発表を見る機会があって、若いうちから自分の経験を他のエンジニアに伝えてフィードバックを貰えるって中々得られないことなのでとっても貴重だと思うんですよね。その自分の経験を与えられるという機会が、普通の一人前になる前のエンジニアにはそうそうないんじゃないか。


もう、そういった一握りのケースを除くと一人前のエンジニアになるまでは、兎に角、受け止める一方になってしまう。それって、一人前でないエンジニア本人が間違って育ってしまうと一人前になるときにはすっかり受身のエンジニアで出来上がってしまう危険性があるのではないかと。そういったマインドセットのエンジニアがごろごろいるプロジェクトはどうなっちゃうんだだろうって。


一人前のエンジニアは与え続けなければならない
一人前のエンジニアは、独り立ちできているんです。だから、自分の仕事量の余裕代で他の人の面倒も見てあげられる。そのほかの人の面倒を見るということが、後進育成の一つであってその形は様々な表現方法であらわされるけれど、実務でのOJTやコミュニティ活動や論文や社内外勉強会の形で示される。


逆に言えば、何らかの表現方法として一人前になるまでに経験してきたことを、まだ、一人前になる前のエンジニアへ与えることが出来ないなら、一人前のエンジニアとは言えないんじゃないか、ってことを思うようになったんです。


システムエンジニアに限らず、エンジニアになったら一生その仕事を辞めるまでは勉強の連続です。その仕事を辞めるときが勉強を止めてもいいときです。就活にくる学生にはそう言って、「その覚悟がある?」と聞きます。まぁ、最近の、氷河期以降の学生は優秀なので勉強するスキルは持っているので心配はしませんがそれをずっと続けることの覚悟はそれなりにないようでもっていないとくじけたときに自分の足で立ち上がることをしなければならないのでしんどいんですけど。


一人前のエンジニアになって、これまで経験してきたことやそこから得た自分なりのノウハウや、一人前に成ってからも続けている勉強の自分なりのおさらいは、一人前になるまでの恩返しと言うと情けに満ちたちょっと濃厚な感じに取れるかもしれませんが、そんなにウェットにとらなくても今風のサバサバした感じでやってもいいかなって思うんです。実際、ワタシ自身はそう思っていないし、ワタシが主宰しているコミュニティもサラッとやってますし。
#だから毎回参加者が少ないんですけど。


そう、サバサバでもべったりでもどちらでもスタイルはそれを振る舞うエンジニア自身が決めればいいことだし、意外と、周りの人は気にしないので、好きな形をそのときどきでgivebackしてみらたいいんですよ。








就活とは人生を主体的に行動する一歩なのかも。大学はまだ親の脛かじりで経済的に自立していない。社会人になって経済的にも自立出来る環境になる。そこではじめて自分の二本の足で立たなければならないことを自覚する。何をいいたいか。就活はその準備の時間なのではないか。