言葉だけが認識を変える


あーもう、なんでこんなに忙しいんですかね。周りの仕事もどう見ても関わっておかないと可笑しくおかしくなりそうなので、段取りや方向性からグリグリとねじ込んでおかないと危なっかしいし。そんなのを入れなくたって7本くらいの仕事の塊を握ってるような気がするけれど、気がするのだけれど。


冷静になってよく考えれば、4月を超えたので新年度予算の執行稟議をかけ始める時期だし、ホント手元を見れば自分だって「似たようなもの調整してるじゃない!」ということに気づいて「あぁ、仕方ないか。自分も共犯だった...orz。」ってことです。


仕事をするめるには仕事の進める目的に応じた叩かれ台や見積りなどのドキュメントがあったり、それの説明を聞いて、あーだこーだと議論や指摘を付けたりするわけです。それはやり方はその組織の家風で様々でしょうけれど、まぁ似たり寄ったりじゃないかな、と思うんですけど。


人は言葉で左右される
例えば、見積りの資料をレビューするときには、必要な資料が揃っているかはレビューが成立するかのqualifyなので揃えてもらう事はそろえてもらって、実際、資料を見ていくんですけれど、普通はレビューイがその資料を読み上げてくれます。


あなたの話し方で資料の印象が変わってしまう
まず、その読み上げるレビューイのタレント性でその資料への認識が刷り込まれてしまうことが多いです。実際の資料上の表現とが違っても、レビューイの読み上げるときの言葉遣いが“否定的”な言葉で表現されるとものすごく後ろむきな資料だと印象付けられてしまうんです。


資料は良くても、レビューイの表現で印象が変わってしまうなら、そのレビューイの人が“見積り資料を顧客に説明するとしたら?”ちょっと大丈夫かな?って余計なお世話だけれど心配してしまうんです。レビューの目的とは違うから、責務の範囲外なんですけれど。


その言葉は推敲してきた?
“弊社の見積り対象外です。”という表現があったとき、これで十分相手に伝わるけれど、それ以外の表現もあるでしょうに、って思うんです。日本語の表現方法は多彩なゆえに意外と個々の人がその人の中に持ち合わせている語彙が違うのは当たり前なんですが、それでもあまりにも「アナタ、推敲してきた?」って疑いたくなることが多いです。


資料の構成にも依りますが、先の“弊社の見積り対象外です。”は、見積もりの界面を表現したいだけなんだから、そうだったら、全体と見積り範囲を図や表で表現する方法もあるし、SOW(statement of work)で表現する方法だってあるんです。


大事なことは、同じことを言うのだけれど、なら、どっちがいいかってことです。“やりません”と言うか、“お客様の担当です”と言うか。目的はひとつ。誰がやるかをハッキリさせたいだけなら、受け手も多少は考えて言葉を選ぼう、と。


“言葉だけが認識を変える”んです。