トラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャには正論やべき論を言ってはいけない


トラブルプロジェクト...いや、ワタシ的にはそんなもんだよねぇ...なんだけれどそうだな、もう少しやりようがあるけれど、−それは誰でも共有できる形式知にはなりにくいもので経験知の方のスキルの領域なんだ−、それをプロジェクトマネージャが持ち合わせていないらしいので四苦八苦している感じのプロジェクトがあって、そのプロジェクトマネージャと彼のマネージャのインタビューに同席させてもらった。


客観的に観れば、そのプロジェクトはコントローラブルな状態にある。コントローラブルというのは、プロジェクトマネージャもプロジェクトをマネジメントしようとして動いているし、マネージャも顧客に対して必要なコミュニケーションを働きかけている。課題や問題がプロジェクトマネージャの手を溢れていたり、マネージャが無作為を働いていたりすることがないのでコントローラブルな状態である、と判断した。


誤りを指摘しない
プロジェクトマネージャには高負荷な状態であるところをマネージャがインタビューすると聞いて同席させてもらったのだが、経験の問題か負荷の問題か、話し始めると段々と感情的になって来たらしくて、終いには「ああしろこうしろばかりじゃなくて手伝って欲しい」と言う。あぁ、このプロジェクトマネージャは負荷のメータがそれほど高くないと知ることになった。


プロジェクトマネージャへのインタビューで終始気にしていたのは教科書的な正論を言ったり、あるべき論でモノを語らないということ。そんなの出来るなら、最初からしているからね。今のプロジェクトマネージャは形式知として方法論や手法を知っている知らないの何れにしても今からそれを覚えて試行錯誤するには時間的な余裕がない。


日々目まぐるしく変わる顧客のオーダに対して何とか精一杯こなしている状態であることは読みとれるし、今の負荷状態に正論を言ってもそれこそ今何とか防いでいる堰が正論と向き合った途端にあっという間に崩壊してしまうだろう。だから、正論は言わない。べき論なんて言語道断である。


今そこには、今ある負荷状態を下げる手段を一つだけ下げることをその狙いを理解してもらえるようにわかりやすく伝え、受け取ってもらえれば万々歳なのだ。それさえ、プロジェクトマネージャの精神状態から言えば、自己防衛のハードルが目一杯引き上げられているのだから。


それでもやらなければならないことは伝えなければならない
それでも、自己防衛のハードルが目一杯引き上げられていても、第三者だからこそ見える拙いことや気になることは伝えてなければならない。リスクはそのリスクを識別した時点でリスクとして伝えなければならない。


日々変わるオーダに対して精一杯対処しているときはそれを処理することが最大の関心と目的になってしまい、それを処理することで何にどのような影響があるかまで配慮できない事態に陥ることがある。それは、本来プロジェクトマネージャ自身が一歩下がっておかれている状況を俯瞰してみなければならないことだけれど、それはすべてのプロジェクトマネージャが出来るとも思っていない。事実としてそれが出来るプロジェクトマネージャと出来ないプロジェクトマネージャいるのだ。


日々の作業に追われているプロジェクトは、意外とdeliverableにまで気を配らないことが多い。それを作り上げるために日々頑張っているのに、である。日々変わるオーダをきちんと入れ込み変わるdeliverableを意識しながら、である。そのためにはいつまでに何をどうしていくか、それをすればその先がどうなるのかを押さえてこそ、なのである。


インタビュアは客観的な視点でリスクを観て、それを伝える。それもいくつも評論家の様に言ってはならない。口ばかりで効果のうないことをのうのうと念仏を立てるような輩は迷惑でしかないのだから。それを踏まえて言わなければならないことを言う。


自分がリカバリするつもりでモノを見よ
インタビュアとして有識者としてモノを見るが、内心は自分が今からそのトラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャとしてリリーフするつもりでモノを見なければならないのだ。


なぜか。評論家では、その意見には自分がやるという意思はないから対策にリアリティがないのである。口に出す必要はないけれど、内心、そのトラブルプロジェクトの情況をインタビューした限られた情報の中で自分自身がプロジェクトマネージャになって、というシチュエーションに身を置いて初めてトラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャも耳を貸すのであると思うし、自分がそのトラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャならそう思うから。