文書だってインタフェースなんだから枠だけ決めて好きに書かせちゃいけないんだから。わかってるのプンプン!


プロジェクトをやっていれば、なんらか、様式に沿ってドキュメントを作るもんです。顧客と会話するならofficeのどれかのツールで検討資料なり、設計書なりを書いて、意思疎通するわけです。


そういった文書も同じテーマなら、毎回違う体裁では持っていかないものです。なぜなら、それが両者のインタフェースになるからです。例えば、顧客が初めてその文書を見るときは文書の様式の見方を説明することもあります。それは、文書の見方を説明することで、作り手の意図を理解してもらいたいという期待があるからです。その説明を持って初めてその文書は顧客とプロジェクトチームのインタフェースになるのです。


設計書などの文書によりインタフェースを取るのは、顧客ばかりではありません。プロジェクトチームの中でも設計した人がプログラム仕様に子細に仕様をデザインしてもらったり、実装してもらったりする担当の人へ伝える手段はやっぱり何等かしかの文書です。


情報へのインタフェースの接し方は片方向ではなくて、普通に双方向ですから、実装する人からもテスト仕様などで逆方向に情報があるものです。


文書も、所謂、wordやexcelpowerpointなどのoffice suiteで表現することもあるし、tracのようにチケットやそれを一覧で見せるビューだったりで、2000年の頃からみれば随分多様になっていると感じるものです。2000年のころはRADツールとかもあったりして設計支援ツールに書いて...とかありましたがまだ息しているんでしょうか。


いずれにしても、何らかのツールを使って、何らかのスタイル、枠や構成にしたがってインタフェースを取りたい人と会話するために、意思疎通をするために表現するのです。その表現をする人が複数ならそのスタイルだけを与えて好き勝手に書かせて良いものでしょうか。


インタフェースとは、情報交換するためのお作法です。なので、ファイルフォーマットなどでカラムや長さを決めて使用するために取り決めるのです。と、いうことは、そこには何らかのルールがあるわけです。でないと想定外の情報が流れてきて受けては困っちゃうわけです。「なんだこれ?聞いてないよー!」って。


なら、文書の様式だって同じでしょ?枠を決めて、枠の中に書いて欲しいテーマや書いて欲しい内容の記述レベルとか決めないとダメじゃないですか。でも、それしないエンジニアがものすごく多いんですよ。組織の大きさや小ささに関わらず、どこにでもいます。


あのね、裁量を持たせて好き勝手にやらせてそれを丁寧にフォローする時間があるならいいんですよ。その文書の書き手の分だけできるなら。そこには、フォローするあなた一人とN人の1対Nの関係のトラヒックがあるんです。それほんとできますか、ってことです。すぐに後悔するでしょう。


インタフェースを取るということ自体、すでにそこには標準化が含まれているんです。ならその標準化されたインタフェースに載るためにはお作法にならってもらわないとインタフェースが成立しないんです。だから、文書で枠なり構成をきめたら、お作法として「こう書いてね。」っていうお手本を一つ二つ用意しておきなさいよ、って。











文書の様式の設計は標準化なのである。