トラブルの再発防止策を打っても効果のないホントの理由

「○○プロジェクトで大規模トラブルがあったんだって。」
「じゃあ、うちもトラブル防止を徹底しなきゃな。」


こんな会話からまだやってもいない、いや、やっちゃだめだけど、効果のあるのかないのか検証もしていない対策を突っ込んでくるバカなマネージャいたりませんかねぇ。こうした大規模トラブルが起きると横並びで……とかいって引締めよう、とか精神論的な感覚ではじめちゃう痛いマネージャを見るとホント何もわかっていないじゃないか、って思うんですよ。


大体、トラブルの事象が公に広まる時点で、公開される情報は仕方がなく報告せざる得ない情報に限りたくなるし、実際、前後の矛盾がない程度にフィルタが掛けられて流通するものです。誰だって、一から十まで話したりしないのは、痛くない腹まで探られたくないからだし、二次被害を被りたくないからです。


なら、他の事例からワタシたちのチームは何も学ぶことができないのかと訊ねられたら、「そんなことないよ。」って言いますけどね。


手に入る情報は、兎に角、矛盾がない程度にフィルタを掛けられている状態であると思ってかかった方が良いです。それは、トラブルを起こしたといっても体面を保とうと何とか取り繕っているわけで。


それをそのままメンバに渡して「気を付けましょう。」なんて言っても、表面的な決まりきった感想しか出てこないです。だって、取り繕っている文面なんだものねぇ。


じゃあどうするか。

スタンドアップミーティングを開く。
輪になる。
メンバに、事実(ぽぃ)レターや報告書をひとり一人手渡す。
概要を話し、読んでもらう。
ひとり一人、“感情”だけでどう感じたか、そのままに話してもらう。
全員繰り返す。


事象としては、時系列は多分に破綻していないのでコトの経緯は信憑性があるので、文書が出回っているなら事実としてそれを手渡した上で、概要を話し、理性でない、感情で感じたままに話してもらうんです。

これを読んでどう思ったか。


表面的な、決まりきった紋切り型のコメントが返ってきたら、もう一度聞きます。「感じたことをそのままの言葉で話してください。」って。そのうち、一人が話し出します。

「手順書を渡すから直して欲しい。」


多少、過激に感じたままの言葉で出てきてもそのまま流してしまいましょう。でも、そうしたコメントが出てくる方が良いのです。
なぜか。それは、

“自分がやったらとばっちりを受けた人はそう思うんだ”


ということを知ることができるから、です。これ、大事なことです。そういった感情が不用意な作業を止めるんです。現場で一杯いっぱいになったとき、理性を感情が上回ってしまう。その超えてしまった感情を止めるために更に自分の気持ちで「そうなったら嫌だ。」とブレーキを踏ませるんです。


そうした感覚を持てて、初めて、様々な対策が効果を得られると思うんです。