コミュニケーションコストを払う気がないなら伝えることはあきらめて


コミュニケーションを取るということは、伝え側から受けて欲しい相手へ伝えようとしていることを理解してもらうことがその行動の目的になるよね。ね?そうおもうんだけど、こんなことがあったんだよ。

「申請書を書いてもらったんだけど、備考欄の記載の意味が二通りにとれてわからないって。」
「いえいえ、備考欄に記載したのはhogehoge〜hogehogeなんです。だから、○○〜○○と記載したとおりで日本語は通じるので問題ないです!」

「(……ダメだ。伝えようという気持ちが1gもない。……)」

「あのね、今ね、hogehoge〜って説明してくれたでしょう。それ、申請書に書いていないでしょう。記載していないことは伝わらないんだよ。」
「それにそのhogehoge〜を記載してあっても、どうして欲しいか、その意図が相手に伝わっていないという事実があるでしょう?」
「はい。」
「コミュニケーションは伝える側と受け取る側と双方にコミュニケーションを取るという姿勢がないと成立しないんだよ。」
「さっき、『記載したとおりで日本語は通じるので問題ないです!』って言っていたけど、それで突っぱねてもいいけど、“あなたが伝えたいことは未来永劫伝わらない”けどいいのかな。」
「それは困ります。」
「でしょ?」
「だからね、あなたはコミュニケーションに必要なことをまだしていないんだよ。」
「伝える側は、相手が理解できるように相手に合わせて伝えないといけないんだよ。」
「それじゃ、こっちが悪いんですか?」
「そうじゃないよ。伝えたいんでしょ?でも先の申請の文言では伝わらなかったんでしょう。」
「はい。」
「そうしたら、“伝えたいことを伝える努力をしましょう”っていうことなんだけど。」
「どうしたらいいですか。」
「何を伝えたいの?」
「hogehogeは……。」
「じゃあ、○○じゃなくて△△ってことじゃないのかな。」
「はい。そうです。」
「なら、△△って書かないと。」


伝えたい意図があるなら相手が読む状況を想定してみよう
伝えたい側に伝えたい意図があるなら、“明確に、一意に伝わる=理解できるように書こうよ”ってことなんだよ。それが自然な行動としてできないのであれば、伝える側にとって、余計な手間に思えるかもしれない。


でも、それはしておなかいと、伝わらないことを伝えているだけにしか過ぎないんだよ。それって、伝える側も受け取る側も一往復のムダなやり取りの手間と時間を消費してしまっているんだ。これ、伝えたい側が伝えたいことにかける手間と時間だを見ても“うれしいこと”なんだろうか。


伝えたい相手がいる。その受け手は、こちらの“hogehoge〜hogehoge”な状況なり背景なりを知っているのだろうか。使う言葉は知っている言葉なのだろうか。読み手を伝える側はどれだけ知っているのだろうか。


伝える側の都合だってあるでしょ?
伝えたい側にだって、都合があるものです。これから伝えたいことはどれだけ重要なんだろうか。これから伝えようとしていることはどれだけ急いでいるんだろうか、とか。


伝えたい側にも事情があるし、伝えたい側にも伝えたいという行動に出た理由があるんだよね。そうしたら、伝えたい側の理由は伝える目的でもあるんだ。なら、その目的を達成しないといけないじゃないか。それをどう行動に移して、目的を達成するか、って話なんだ。


必要なストを支払うつもりがないならコミュニケーションはあきらめて
それを、目的を達成するために必要なことをしないというのは、伝える側の配慮が足らないとか、一度で済むことを無駄に自ら無意識に望んでやっているんだよね。つまり、無意識にコストを2倍払う選択をしているんだよ。


手数を少なく、簡便に、短時間に伝えて得たいことがあるなら、それを達成するためのコストは支払いなさい。そのコストが、自分で初見する相手の立場でエルフレビューすることかもしれないし、事前に書き方を訊くことかもしれないし、記載して通じるかどうかを見てもらうことかもしれない。


そうした小さなコストを支払うことで、そのあとのやらなくていい1往復をやめることができるなら、安いものだよね。


それに、受け手だって、事前にコンタクトがある人に対して悪い印象を持たないものなんだよ。誰だって、これからそういった申請が来るとわかればそれに対応する時間を想定するし、事前に記載について相談があれば後の手間を減らせるようと教えてくれるものだのも。


結局、それを含めてコミュニケーションなんだよ。通信プロトコルで言うフレーム同期だったり、ハンドシェイクみたいなものだ。それを意識してしようよ。