ワタシはまだ、聞き役であり、実践者でありたい


ワタシと飲みながら会話した人は“良く話すオジサンだ”と思っていかもしれない。ワタシ自身が、最近はおしゃべいが過ぎているのではないか、と思うくらいだもの。


ワタシは年上のオジサンと飲むのが意外と好きなんだ。そして、一緒に飲みに行ってもほとんど年上のオジサンに話させる。徹底的に聞き役になる。それはいくつか思う事があるから。


年上のオジサンは話す相手がいつも一緒だ。で、限られる。それは話したがっている、ということだろうと勝手に思っている。だから、一緒に飲むおじさんの飲みの目的がワタシの本音を聞きたいなら肩透かしをくらうようなことに感じるかもしれない。まぁ、そうは言っても何も話さないわけではないけど。


そんなことを思っているから、話を聞く役に徹しているんだ。いや、最近は“いたんだ”が正しいかも知れしないけど。


若いころはあまり飲みに行くことが好きではなかった。今の若い人とそれほど変わらない感覚じゃないのかな。そのうち、「飲みに行くのもの仕事だなぁ。」なんて大義名分を作って飲みに行くようになった。一度行けば、あとは同じだ。


だけれども、すこし違うのは聞き役に回った、ことかな。オジサンたち、時間がいくらあっても一人で話しているけれど、嫌々聞くならそれは確かに時間とお金の無駄にしかならないよね。


だから、気持ちよく話させて、こちらが興味がある話のテーマを振って、話しのお土産を貰おうと思ったんだ。


これ、相互にメリットのある関係なんだよね、実は。オジサンは気持ちよく話す。こっちは、お土産ができたらラッキー、そんな関係を想定して誘い水を。パックリと釣り針を加えてくれればうれしいもの。お互いに気持ちよく聞く。


例えば、仕事場では聞きにくいこともお酒と場の雰囲気でいろいろ話してくれる。もちろん、オジサンの武勇伝のときもある。一緒に飲みに行くオジサン達はまだまだ元気があるし、仕事も多岐にわたるので“いつも同じ話”にはならないんだね。もしなりそうになっても、こっちから違う話のネタ振りするけれど。


話を聞くのはオジサンばかりじゃない。若いエンジニアと飲みに行ってもたくさん話してもらうんだ。若いエンジニアもね、色々聞いてくるんだ。ワタシの若いころの話。そうしたことが最近は多くて、それは、初対面で付き合いの浅い人が多い環境だから、かもしれないけれど、なんとなくざっと話す。ワタシの仕事の話を。面白おかしく、ね。


話をしたいのはオジサンばっかりじゃなくて、若いエンジニアだって日頃の仕事の悩みもプライベートの出来事も聞いて欲しいけど仕事では“言えないこともある”し、私生活でどうしたいか誰かに聞いて欲しいこともあるみたいだ。それを聴く。うなずいて、理解して。


ところで、なんでワタシがオジサンや若手エンジニアの話を聞くのかと言えば、ワタシで経験してきていないことを彼らが経験しているから、なんだね。ただ、それだけ。それを知りたいだけ。


オジサンたちがやってきたことは、オジサンの中だけにしかない。誰に話してもちゃんと多分聴いてもらっていない。だから、その属人的なノウハウを聴く。その中でワタシの琴線に触れるキーワードがあるかないかを聴く。だから聴くんだ。


そして、琴線に触れて共鳴できることは、自分なりに消化して実践したい。そう思うんだ。ポイントはね、自分なりに消化して、昇華させて、ってところ。これは一つのライフハックと言えばライフハックだし、チートと言えばチート。だけど、消化と昇華をしているからワタシバージョンの実践、になるんだ。


でも、最近はワタシも誘い水があれば話をするようになってしまった。それはワタシの仕事なんだ。それでも甘い誘い水に耐えられず話してしまうことが多くなってきたのはワタシもオジサンのサイドに移ってしまったことの証左なのかもしれないけれど。


それでも、まだまだワタシは話を聞いて、ワタシ風の実践者で居続けたい。