システムエンジニアの35歳定年説の真意がワタシなりにわかった気がする


システムエンジニア35年定年説なんて、ワタシが仕事についてすぐに聴いた言葉だし、未だにこうして蘇るのは亡霊なのか、それとも仮想化HAを導入して信頼性を挙げた成果なのかは知らないけれど。でも、それはそれでみなさん楽しく語るし、ワタシだってときには語っていたこともあった、ハズ。


これまでの35歳定年説に関するワタシの持論みたいなものは、

仕事面では
−エンジニアのピラミッドの位置としてロールアップしていないと先がない
−コスト負担の面で、専門性を見出すか、リーダとしてメンバと合わせて負担の平準化が必要になる

フィジカルな面では、
−物理的に体力を維持するだけで精一杯で夜戦はツライ


などと、経験と学習に応じた組織の中での役割、つまり、ロールをステップアップしていかないと、キャリアの見通しもつらくなるし組織の中でのコスト負担の問題とかがあるし、一兵卒のままだと当の本人が体力的にツライ、というような様々な課題を「どうするのよ。」って話なのではないか、と思っていたんです。


楽しくもない仕事を楽しくするための工夫をするのが仕事なんだから、いつまでも「楽しくコードを書かせろ!」というのはねぇ。


なぜ35歳がボーダーラインなのか
これまでいくつものプロジェクトで沢山のプロジェクトメンバと仕事してみて、また、何十人ものエンジニアのマネージャをしてきてなんとなく経験値として得ていることがあるんです。

“それは、40歳を超えてから自分を変えられるエンジニアはほとんどいない”


ということです。ホント、ほとんどいない。今思えば、40歳で変われた人も、もともと新しいことに関心を自分で持つことが出来た人だったから変われる人にカウントすると、実質、ゼロかもしれない。


逆に、30代のエンジニアであれば変われるんです。残念ながら変われない人もいるけれど、変われるエンジニアもいる。変わるように執念深く言い続けることも必要ですが、変わることを試してみてメリットを体感すると途端に変わることを突き進むですよね。なんか、反動するように。


そうした経験値からも、35歳というよりは、

“30代で変わることが出来るかどうか”


なのではないか、と。それを30代と言う表現で曖昧さを残すより、35歳と中心値でズバッと指し示すことでインパクトを与えたのではないか、と。


“30代で変われるか”の真意
う〜ん、じゃあ35歳定年説を30代で変われるかということの真意はどこにあるのかが、ワタシ気になります、なのです。それは、変われるということは変わり方を知っていることでもあるし、そのやり方をやってみることもできると言えるのではないか。30代の内に変われると言うことは、エンジニア自ら30代までに変わり方を知り、身に着ける、と言うことなのだ、と思うのです。


それは、こういう言い方の方が適切なのかもしれません。

“30代で自分を如何に習慣づけるか”


自分を習慣づけるということは、自分で自分を躾けるということでもあります。それができる最終便が30代なのではないか、と。それを超えてしまうと、残りの定年までの35年を自分で変われる可能性を失ってしまうのではないか、と。


おぉ、これはコワイです。でも、ワタシがメンバとの変わることに対する挑戦と結果を振り返ってみても、やっぱり、そう頷かざる得ないとこもあるんです。こうした、35歳定年説も、実は、30代で自分を如何に習慣づけられたか、が真意なのだとワタシなりに一旦結論づけて置くことにします。


さて、みなさんの年齢はまだ30代ですか。自分を習慣づける最終便はもうすぐ出てしまいますよ。お乗り遅れの無いように。