はてな村も10年後は、ワタシが10歳歳を重ねるのと同じように10歳だけ高齢化しているのだろうか


高年齢者の雇用の安定等に関する法律が平成24年9月5日に改正されて、組織で働くなら65歳まで雇用が義務付けられるようになった。それが改正されるまでは勿論60歳が定年退職を迎える歳で、組織の制度により雇用延長が整備されてたところもあった。


ふと、気づくともうすぐ50歳を迎える。もしそれまでバスに轢かれて昇天するようなことがなければ、だけど。


やっぱり違うんだよね。30代の時、40代、50代の自分を想像するときのイメージのつけやすさ、というか可能性ののり代の多さが50歳を目の前にしたときの使い果たしたのり代の残りの部分とは。そののり代は、自分自身の体力的なところや、学び続ける精神的な面や30代のころの下から上に上がる先のパイのサイズと今のポジションから先へ極端に先細りするパイのサイズと。そして、自分自身の能力の閾値と。


それでもなお、ワタシはワタシのあと10年先の自分自身を想像しないといけないのだ。そうしたことを考えなくてよいのは、働かなくても食べていける人たちだけだ。ワタシは残念ながらそうした層の人ではないので、少なくとも年金が支給されるまでは働かなくてはならない。しかも、60歳定年で年金をもらえるはずが気づいたら65歳に支給延伸されたことを考えれば65歳が70歳に再度延伸されても驚きはしない。多分、そうなるだろう。それは年金の抱える問題もあるだろうけれど、高齢になっても働ける人は体を動かして働いていた方が社会保障のコストの観点からもそれが良いとワタシ自身が思っているから。


60歳になったときのエンジニアのワタシのイメージ像
ほぼ10年後にバスに轢かれなければ確実に迎えるのだ。そして、何か大きなきっかけがなければ、多分、今の組織にいると思う。他からオファーがあればどうかとも思うけれど、新しい場所で位置から関係づくりをすることに大変慎重にならざる得ない。人の関係とは難しいと思うからだ。勿論、新しい場所での人との関係を気づくことが上手くいく可能性だってあるけれど、上手に関係を気づくために一からコストを払ってまでリスクを冒すことと、新しい場所での仕事の成果を出すことの二つを上手にやれるイメージが持てないからなのだけれど。だからと言って、100%と思っていないところがあって、そのコストを払ってまで挑戦することで得られるものがあるならやるかもしれない、というのは随分としっかりリスクコントロールが身についてしまったものだと思う。


で、じゃあ、実際何やっているのだろう。ワタシは。


専門は、プロジェクトマネージメントなのである。選択肢を挙げるなら、マネージャ、プロジェクトマネージャ。あと、ありそうなのは本社部門のプロジェクトマネジメントオフィス。後なんだろう……。部門のプロジェクトのお目付け役なんてあるのだろうか。何れにしても、マネージャかプロジェクト界隈のエンジニアにその可能性は収斂されるのだろう。プロジェクトもプロジェクトマネージャとしてキャリーする意欲をその時まで維持できているとするならプロジェクトマネージャのままかもしれない。自分で最前線に立つことが躊躇われるなら、プロジェクトをキャリーする人たちを支える仕事になるのだろう。


何れにしても、技術、方法論が変遷していく限りそれを最前線で追いかけて、あたかもワタシが教祖のように行く先を指し示すような振る舞いをし続けないとワタシが思い描くような体にはならないだろう。それは組織は新陳代謝を求めるから。そうした組織の要求の中で、ワタシ自身のやりたいことを探し続けることと組織の目標とを上手に解釈して、お互いに折り合いをつけて行くことになるのだろう。


30代で50台を考えるのはもっと気が楽だったんだ。なぜって、50歳がどういったものかよくわからなかったから。だから、勝手に仮説を立てて、勝手に思い描けばよかったから。そして、好きなように進めばよかったから。


ところが、50歳を前にして60歳を考えるのはだいぶ違うんだ。組織の中で30代のとき、50代に成りたてのオジサンたちが当たり前だけど同じように10歳年を取っている。その姿を目の前で検証できるのである。組織の中でのロールでの違いも分かる。相変わらず、現場で振り回されているのか、マネージャで間に挟まれて40にして悩まずを50歳までひきづっているのかそれとも役員になってトラブルプロジェクトの落としどころを探しているのか、とか。いや、そんな悲観的なことになっているのは少ないのだろうけれど。どっちにしても、ワタシが10歳、歳を取ったようにオジサンたちも10歳、歳をとる。その60歳に近いオジサンたちがロールモデルとして実在する。それを目の前で見るわけだ。


言っていることは、10年前と変わらないのにね。外装も内部の機関も大分へこたれているみたいだけど。それでもオジサンたちは頑張っている。


ワタシは自分で描く30代のころにイメージした50歳のワタシより、50歳を手前にして想像する60歳の方がリアリティを余計に感じてコワイ気がする。それでも毎日仕事場に行き続けるのだろう。今のところ、ワタシにはそれがやりたいことがある場所なのだから。不安は今片付けるやり方で片づけるしかないのだろう。リスクを識別して、判断基準を設けて、エクスボージャを想定して、そして対策する、と。