気軽なお試しが「変化」のハードルを下げる


ワタシ、割と新しいモノ、流行りモノが好きでしたが、40代に突入するとそうしたことに割くことに魅力を感じなくなったのか、感度が鈍ったのか、それとも追いかける体力がなくなったのか、若しくは、そのすべての理由でワタシの関心の優先順位が下がった一方、仕事に関するコトについては感度が上がってアンテナを前より少しだけ高くして拾うようになったのは決定的に仕事が好きになったか、なのかもしれないです。


自分に試してメリットがなければすぐやめる
そうした関心事のうち、自分の仕事か少しでも楽になるとか、困っていることがソレで解消できるように高い精度で目利きが出来ると良いのですが、そうした目利きのような精度より、ソレが困っている課題なりの解消になることが過去の経験との突合せで類推できるとか、手を付ける前に脳内で試行してみて「(イケそう!)」と半ば確信が持てるとか、そうしたことをクリアして初めて手を付けることが多いです。ワタシなりのワタシのナレッジとの検証を経て、ということでしょうか。


で、そうした課題解決の手段のソレを試すのもワタシはいきなりフィールドテストをしてメンバを困惑させたりはしないです。最初のモルモット、検証対象はワタシ自身です。なぜなら、課題解決をいち早く願っているのはワタシ自身だし、先駆者が得られる先行者利益を「いっただきた〜い。」からです。何でも要求を持っている本人が経験するのが一番ですからね。まぁ、時間的制約とかあれば別ですが。


そのしたワタシ自身が体験することでその課題解決のソレがいけそうなのか、と言う観点のほかに、そのソレをやることで効果が得られるのかその課題を取り巻く全体感というか世界の中での初期効果と継続する場合の長期的な効果を気にしたりします。


やっぱり、課題解決のために何かを取り入れることは、現状に「変化」を与えるので慎重にはならないけど「配慮」はしますね。だって、いくら効果があっても辛かったらいやだもの。

「だから、自分に試して、効果をみて、自分でやれないと思ったらすぐやめる。」


そのためにも自分自身がモルモットになってみないとその判断が自分の感度で判断できないので、自分で試行することってとっても大事なんです。そんなことを繰り返しているうちに、いいものは続けるし、ダメなものはすぐ捨てられる習慣もできるということを重ねて、いつの間にか自分なりの目利きが出来るようになるですね。


気軽なお試しが「変化」のハードルを下げる
こうした自分自身を検証対象にして、課題解決の試行錯誤を繰り返したり、良いものは取り入れたり繰り返すことでその裏側では目的のためには自分自身を変化させるという習慣が出来るようになるんですね。


そうした習慣を持つ人は、環境が変化したり、周囲の人が入れ替わったり、自分自身が新しい環境下に投げ込まれても課題解決のために自分自身を変化させるマインドをもっているので柔軟です。


この柔軟とは、むやみに忠実であるという意味ではなく、課題に対して自分の価値観を判断基準として変えられる範囲を意識して変えていくということが出来る、と言う意味合いでです。


ガッツリ変化するのは周りを巻き込むのでいろいろと大変ですし、ワタシの経験則からいえば本来の狙いとは程遠い効果しか得られないと思っています。そんなことより、自分を手軽に変化させて変化に慣れておくことの方が、日々新しいことを見つけられるので毎日が何等か楽しく過ごせると思うのです。