優しいたしなめ


少し前、実は思う事があって、すこしだけ、いや、それは急に自分を変えられないと思ったから……、とはいえ、自分のふるまいを変えようと意識しはじめたところに、優しい言葉でご意見を頂く機会があった。


ワタシは、「仕事は仕事なんだから、仕事を如何に完了させるか。」にフォーカスしていて、コトに対してストレートに意思を伝える特徴があるのはワタシ自身認識しているし、それが間違っているとは思っていないのだが、それはこちらの都合であることもわかっているんです。


わかっているけどそう受け止めない人もいることもうすうすわかっているけど、すべてを満足させるほどワタシはできた人ではないのも事実なのですよ。


だから、自分の思いで変化させた方が良いものは変化させてみようとするし、深層心理で変えたくないと思う事は変えていないのだろうとおもうんです。そのくらい、ワタシは不格好なんですね。


あるとき「好きな人には親切に、嫌いな人には丁寧に。」という言葉あるのを知って、それをやろうとしはじめたところだったにそのご意見を頂く機会があって、見ている人は以前のワタシを見ていたのだなぁ、と。


実は、「好きな人には親切に、嫌いな人には丁寧に」を知る前からも気の合わない人には表面上だけでも無難に対応しておこうと思っていたけれど、それが突き通せなかったところを見られたのかもしれないのかも。


ワタシはそうするように、意見をしてもらえる側は若手か中堅までがいいところ、なのかもしれない。意見を貰う方はたまったものじゃないかもしれないけれど、その意見が理不尽や屁理屈じゃなければ黙って聞いておいたらいいと思うんだね。


何か、とっても気になることがあるからだし。まぁ、「何言っているんだ?」なんていう人もいるけれど。そうであっても、意見に一理あっても「ありがとうございます。」と頭を下げておく方がいい。もしかすると「いつか」役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれ知れないけれど。


だから、この歳になってご意見をいただけることは正直うれしいのです。


そして、行っている方はどういった腹積もりで言っているのかはわからないけれど、解釈は棚に上げて言葉を文面どおりの意味として切り取って、まるで夏目友人帳の友人帳に妖怪の名前を書きつけてあるように、ワタシの記憶に書き記すんです。


それでいいんですよ。結局、何を言われても、その後、どう受け止めるか、改めるかは言われた方なのだから。


今回の場合、たまたまだけどワタシ自身が何かに気付いて変化をさせたところでの意見だったから、やっぱり何かあるのだろうと思うことにしたけれど、優しいたしなめは久しぶりにワタシの自信を揺らすのも事実だったわけで。


なにより、その揺れ方が想定外で、それを客観的に受け止めようとする自分と立て直そうとする自分と忘れてしまえと言う自分が混ざり合うことこのうえなかった。それは、2-3日の間、ワタシの精神に緩やかな揺らぎを与え続けるには十分だった。


結局、少し変えてみようとするもともとの自分の考えを進めることにしたのは自分の内省に従っただけなんだけど。


突っぱねるという生き方もあるけれど、コンプレックスの塊であるワタシは変化してそれを追う方が良いみたいだから、今はまだそっちを選ぶ。


突っぱねつづけられるほど、強くないからね。