去年の自分を恥ずかしいと思うより、今の自分が成長を試みていなかったら恥ずかしく思った方がいい


過去の自分も今の自分も明日の自分も全部自分です。当たり前ですけど。そして、過去の自分は変えることができないけれど、今の自分と明日の自分は変えられることが出来るんです。実際、変えるかどうかは当人次第、ですけど。


乱暴な言い方だけど、過去を振り返ってそんな風に思うくらいなら、変わりたいように変わればいいのですよ。

「過去の、去年の自分を恥ずかしく思ったの?」
「じゃあ、今の自分はその『恥ずかしい』を踏み台にして何を変えたの?」
「去年の自分を『恥ずかしく』思ってどう変わるの?」


そうです。自分の人差し指を自分に向けて、問えばいい。恥ずかしと思ったのなら、

「変わろうとしているのか。」


自分に人差し指を向けて、その答えが結果はわからないけれど「やり中」なら良いと思う。だって、去年の自分から成長しようとしているのだから。


ところが「去年の自分を『恥ずかしく』思っている」のに今なにも自分を変えることをしていないのだとすると、これはその「恥ずかしい」と思っていることの考えの軸が間違っているんだよね。何が間違っているかと言うとその「恥ずかしい」が自分と他人とを比べているからだろうから。つまり、恥ずかしいと思う基準が絶対評価が出来るモノでないということ。他人なんかと比較しているといつまで経っても恥ずかしいままなんだから。


なぜ、他人と比較するといつまでたっても恥ずかしいと思い続けることになるか、というと、それはその対象の人が自分より出来る人を選択している時点でギャップがあるということ、2つ目はその比較している人も成長するから、です。比較先が同的にそれもできる人ならさらに先に行くと考える方が合理的です。比較先の人だってずっとそこにいるわけじゃない。だから、そうそうと抜けるわけがない。そういうことです。


だから、自分と比較しましょうね、ということです。


で、元に戻って、去年の、過去の自分を恥ずかしく思う必要なんてないです。自分で選択した結果だけなんだから。その恥ずかしいと思うことなんて一時点の断片でしかないのだし。


だったら、さっさとその恥ずかしいと思うコトを乗り越えられるように成長すればいい。ま、成長すればいいなんて簡単に書けるけれど、実際はいろいろあるかも。その成長をするために何をしなければならないか考えないといけないし、それを実際に、地道に、一つひとつつぶしていかないといけない。地味です。はい。


でも、恥ずかしい=変わりたい=出来るようになりたい、なのであればそれが出来るように試行錯誤と練習をやらないといけない、と思うのかどうか、です。


それだけ。だから、恥ずかしいと思うのを飛び越えて「出来るようになりたい」と思わないといけない。何かが出来るようになるということは体験の過程を通して思うように物事を変えられるという習得をするということです。それが成長なんですよね。


そう考えると、去年の自分を恥ずかしく思っているだけではダメですね。もう、恥ずかしく思う必要もない。そんなことを感じて顔を赤くしている暇があるなら、何が出来るようになれば顔を赤くする必要がないのかを考えた方がいいです。それは、今の自分を成長を試みていなかったときに恥ずかしく思った方がいいです。


ただ、恥ずかしく思うだけなんてすぐに忘れちゃいますよ。そんなの恥ずかしく思うだけ時間の無駄です。