為念してますか


あなたの常識は過去の経験にとらわれ過ぎているというか、あなたの知らないことは非常識になってしまうというか、そういったことはよくあることです。人は、自分の成功体験を自分がスキルを発揮するための核とした自信に変えて行動するものなので、自分の成功体験や経験値がいつの間にか自分だけの常識になってしまいます。


知らず知らずのうちに自分の経験の上でものごとを考えてばかりいると、面倒くさいとか当然だろうと自分の常識だけで仮定を置いて進めてしまうと後で痛い目に合うのはその人であって、大会そうしたケースでは仮説をオイタ側が「考慮不足!」と言われるパターンが多いかと。


得てして、そうしたことが後になってわかるのですけど、ところで会議に限らず人が誰かと会話するときに

「一見話がかみ合っているようで実は話の上で話題にもなっていなかった。」


なんていうことが起きるのは会話をする当事者間共有の問題だと思うのですが、さて、こうした現象に名前はついているのでしょうか。


例えば、あなたはシステム開発プロジェクトでミドルウェアの運用機能の実現仕様の設計をしていて、デザインがいい感じに煮詰まったので相談に来たとします。コンテクストとしては、あなたは方式設計をインプットにしてサーバ構成とその制約及びミドルウェアの製品仕様の知識を前提に運用機能を設計している状況です。

「運用機能はこんな感じにしたいんですが。」
「これ、このパターンで実装した実績あるの。」
「ありますよ、○○プロジェクトとか。」
「なら安心だね!じゃなくて、ログ収集は……。」
「という感じに処理します。」
「そうかー、じゃあいいかな、機能面は。そうそう思いついちゃったんだけど、ネットワークは大丈夫なの。」
「どうしてですか。」
「だってこの図だと、前と後ろとLANは繋がっているけれど。」
「はい。」
「バックアップはどっちで。」
「裏で。」
「じゃあいいんじゃないの。」
「はい。」
「念のために聞くけど、非機能要件の運用要件は全部入っているの。」
「はい。」
「じゃあ、関係者集めてレビューしようか。」

「というわけで運用機能はこれでいいですか。」
「ところで、名前解決はどうするの。」
「IPで。」
「それはないでしょう、いまどき。なんだっけ……、ほら、FQDNじゃないの。」
「ですよねー。」
「『ですよねー』じゃないでしょ。」
「ところでDNSサーバってどこにあるの。」
「前のネットワークにAD立っていますよ。隣のチームが担当ですけど。」
「それ、裏も名前解決してくれるの。」
「え?してくれないんですか。」
「だって、裏のLANにいるのにどうやって辿りつくの。」
「ADの専門家じゃないですから……。」
「じゃあ隣のチームに相談しないと。」


「そんなことがあるわけないじゃん。」と思ったらすでにあなたは自分の常識に縛られていますよ。自分が実現したいことの前提や制約を調べないのは、

「そんなことは常識だもの。 みつを」


と心の奥底で思っているから。だって、実際あったのだもの。裏のLANで名前解決できないとか。事実は小説より奇、なのです。


といわけで、為念しましょう。