あなたの「コレをやったら上手くいかない」とはなんですか


別にアーキテクトでも、SEリーダでも、担当SEに置き換えてもいいです。そういったことが人それぞれにあるものです。


どうしてそう断言できるかと言うと、人は自分の成功体験に基づいて行動するからです。成功した経験、それは経験知であり、次又同じ事象に遭遇したらその経験知を反射的に自分の知識から暗黙に持ち出して使うのです。


では、その行動の本質は人は成功した経験知だけを財産として持ち続けて行動するのかと言えば、実は真逆なのではないか、と思うのです。


ワタシの場合、進捗を計画どおりに進めて計画どおりの出来高を確実に確保するためのメソッドは、作業プロセスの標準化、アウトプットの定義、毎日の朝会による予実較差の把握です。では、このメソッドはどうして自分のやり方として得たかと言えば、試行錯誤と失敗をミルフィーユのように積み重ねたからです。その重ねた失敗の中には「二度と繰り返したくない」という確固たる思いも含まれています。


それは、成功した経験知に幾多の試行錯誤と二度と繰り返したくない失敗が背景にあり、それを超えたやり方がパターン化し、ワタシの場合はそうしたメソッドとして暗黙の経験知として使いまわしているためだからです。


ただ、ぐるぐる使いまわしているだけはなく、いかに楽に効果的にできるか改良をし続けるんですけどね。だって、楽したいもの。


その「楽して効果を得たい」は、過去二自ら若しくは他責で蒙った思い出したくもない経験をしたくない、という一点において強くワタシを駆動するのです。


ワタシの場合、上手くやりたいからと言う理由より、あの苦労をしたくないからやる、なんですね。それは、目の前にある事象について上手くいかなくなる要因を破棄することと言った方がいいかもしれません。そうそう、これですね。

「コレをやったらうまくいかなくなる」

それを除外するやり方が、成功した経験知であり、ワタシだけのメソッドである。


そうここまで書いてきて思いついたことは、良くある成功体験を聴いて学ぶということは、その裏のなぜ成功に至ったかの、それまでの失敗や創意工夫としてきたことまで聞かないと成功した本質までたどり着けないのではないか、と。失敗事例は失敗事例として、やはり当事者としてその事象の中に疑似的にでも中に入って自分自身が判断してみないと学習として得られる効果は疑問が残るのではないか。


それはさておき、あなたの「コレをやったら上手くいかない」は何かを教えていただけませんか。