その気になれないドキュメントに向かう姿勢は池波正太郎のエッセイで教わった
イベントが終わったことは書いたとおりで、−何かまでは書いていませんけど−、それまでそのイベントに関する書籍だけしか読む時間を心理的に割けなかったので、昨日の帰途に久しぶりに池波正太郎を読んだんですね。
時代小説ではなく、エッセイです。時代小説もエッセイもだいぶ読んだ気がしますが、これはまだ読んだ記憶がなくKindleで角川Kinle祭りかなにかでポチったままのをダウンロードして。
久しぶりにエッセイを読むと「やっぱり池波も歳相応の思考にそまるなぁ」と。割と新しいことも好きだったと言う印象ですが、時代小説を書いているせいか、少年時代が池波にとってよき時代だったということからか、そっちにバイアスされている。
それが良い悪いじゃなくて、池波でもそうなってしまうのだから、ワタシなんてどうなっちゃうかなぁ、と。人と比較するよりは、自分が今の思考を保てるか、という今と将来の自分とのベンチマークの意味合いで。
池波のエッセイは車輪の再生産だと思っていて、でも、「池波は面白いからいいんだよ」と思って読んでいると必ず出てくることがあって、それが、仕事に関すること。
小説を書く仕事ほど辛いものはなかった。
一年のうちに、
「さあ、やるぞ!」
と張り切って机に向かえる日は、十日もないだろう。
(引用 男のリズム 池波正太郎 角川書店; 改版 (2006/1/25) )
毎日、思うように仕事の手をつけられるなんてないよ、っていうの。
目ざめてからも、なかなか仕事にかかれず、気が重いままに入浴をすませ、夜食をとり、それから万年筆を手に取る。
一枚、二枚と苦痛のうちに書きすすめるうち、すこしずつ、調子が出て来る。
(引用 男のリズム 池波正太郎 角川書店; 改版 (2006/1/25) )
池波でさえ、これだもの。ワタシの仕事が思うようにいくなんて、そりゃ贅沢ってもんだ。そう思うとね、気が楽だし、自分がドキュメントを書けないときも力を抜いて机に向かえるんです。まぁ、万年筆じゃなくてキーボードですけどね。
で、「いいからグダグダ言わずに1枚書け>ワタシ」と自分に言い聞かせる。1枚を書く。いや、1、2行を書いてみる。書けないときは、ノートかA4のコピー用紙に描いてみる。それでわかるんですね、どうして書けなかったかが。自分の脳細胞で消化しきれていなかったことがそれだったのか、と。
何がどう影響するかってわからないものです。だから、「本を読め」なのだと思います。とにかく読んで、詰め込んでおけ。
今の年齢は今しかないのだから、今の感性で感じる本を読んでおきなさい。1年後には見向きもしないかもしれない。買ってきても、借りてもいいから読みなさい。将来の自分のために。
ワタシは、煮詰まったと思ったら、日中からお風呂を沸かして気分転換に入浴しながら、デレマスの「Star!!」を1曲リピートしていましたけど。