作業プロセス(作業標準)と伴走する品質管理という考え方

「やっぱり、品質管理はレビュー記録を取らせればいいんですよ。ほら、一緒にやった大変だったプロジェクトでとりまとめをしたじゃないですか。」

(チョーめんどくさい…。巻き込まないで欲しいなー)

「覚えていますよね、ね。私がレビュー記録をとりまとめをして、レポートを作ってお客さまに報告したんですから!!」

(だいたい、レビュー記録の評価で品質なんて上がるわけないじゃん。本質がわかっていないな、この人は)

「大変だったんですよ。でも、レビュー記録から品質状況を評価するのは、他のプロジェクトでもやらせないといけないと思うんです。」

「まぁ、データを取らなければ品質検証はできないですからね。必要なアクティビティであることは間違いないですね。」

(と、同意はしておこう。でも、品質管理の本質は「設計工程での品質の作りこみ」なんだよねぇ…)


何度目のでジャブだろう
こういった、結果に基づく評価だけで品質管理を語られると、正直、ハルヒ2期のエンドレスサマーを観ている気分になる。いや、うる星の2ndムービーか。


繰り返される出来事にはそれを夢見る主人公がいるものである。いま、キミが語る品質管理はキミの幻想なのである。


やってしまったことの記録を取り、工程内でループさせるであれば意味があるアクティビティだし、それが本来の姿の一部だと思う。


それをループをさせることを言及せずに、工程終了のタイミングで品質検証することだけを語られても

「じゃあ、その時点で品質が悪かったらどうするの」


とお尋ねしたい。でも、きっと、工程終了の時期を棚に上げて工数を掛けて品質向上を、と歌うのだろう。


勘違いも甚だしい。こうした、ただ1点を聞くだけでもHPが削がれるのである。そして、面倒くさいなーと思う。


作業プロセス(作業標準)と伴走する品質管理
品質管理とは、作業プロセスの確からしさを証明するようなアクティビティなのである。品質管理がただ独立では存在することはできないのである。


品質管理は、作業プロセスで行われる設計作業が正しく行われるように振る舞いを強制する機能を持っているし、設計から作り出されるプログラムの確からしさを検証する機能を持っている。


これだけでも、品質管理には必ず作業プロセスが対として存在するコトが理解できる。


もっと簡単に、シンプルに考えて欲しい。やってみて、具合が悪いようだから直させます、ではやってみてのコストがムダになってしまう。だったら、不良が出ないやり方でやってみて、具合がないことを確認したほうが安がありだし、早く家に帰れる。


もう少し工程の作業プロセス全体から俯瞰して物事を見られる感覚を持つことが必要だと思うよ。