やってもいない「やりたいこと」を見つけるより、ちょっとやってピボットするほうがいい

随分前に書いたような気がするけれど、中学生のときにはなんとなくエンジニアになりたいと思っていたんですね。多分、子どものころの環境が作用したのだと思います。ただ「どんなエンジニアになりたいか」までは、具体的なイメージは持っていなかったです。でも、建築ではないな、というのは変に持っていたような気がします。


高校生になって、FMでエアチェック(死語だ…)をするためにFM fanやらFMレコパルを買うようになって、そのどっちか、たぶんレコパルだと思うのだけれど、appleの記事があったのがパソコンに関心を持つきっかけだったのじゃなかな、と思うんですがその辺は記憶はかなりあやしい。


なんだかんだで大学は文系の情報に行ったのですが、何をするか、いや、何をしたいかを持っていたわけではないんですね。ほんと、何も考えずに情報系にいったらコンピュータのエンジニアになれるんだろう、くらいでした。今だったら、ネットで調べて

システムエンジニアの仕事ってブラックなの?」


とか見て考え込んじゃうかもしれないですが。


そんな過去をふりかえるとどう解釈しても自分の行動は「コイツ何も考えていないな」なんですよねぇ。なあんにも考えていない。


何も考えていないといえば、高校生のときに周りを巻き込んでパソコンクラブを学校で作って、数学の先生に頼み込んで顧問になってもらったり。先生はその後、mz2000なんて買ってましたね。


夏休みにクラブ活動をやろうと集まって、コードを打ち込んでゲームで遊ぼう的なことをやろうとしたんですが、雑誌を見ながらコードを打ち込むのがどうにも「性に合わない…」って感じたんです。もう、ここですでにSEやめておけ、ってフラグが立っていたのではないかと思うんですが。でも、あれか、クラブを作ろうと走り回るとかそうしたところの楽しさは無意識に感じていたのかも。


ここまで過去をふりかえっているのは、何もワタシが「やりたいこと」をいつも持っていながら歩いているわけではないんですよ、ということを言いたいなぁ、と思って綴っているのです。


どっちかというと、思いつきやどこかでたまたま知ったキーワードを「思いつき」で気になったらそれを後先考えずに手を出しているだけなんです、ということなんですね。


自分が気になったら、それをやってみる。どうせ、ある時期になったら何かを選択しなくちゃいけないときが何度も来るんです。それが受験かもしれないし、職業を選ぶことかもしれないし、職種を選ぶことかもしれない。


でも、そのたびに自分のやりたいことがどれかなんて探しても「解」はないんです。だって、まだ何もやっていないのだから。やってみないと自分のやりたいことだったのかそうでないのかはわからないです。少なくともワタシには。


だから、まずやってみる。で、「なにか違うな」と思ったらちょっとピボットしてみる。ピボット、そうバスケのね。軸足を中心に向きを変えてみる。並行に走っている時間軸を飛び越えるのは過去を捨てることになるのでだいぶ勇気が必要です。でも、ピボットなら過去はそのままで、次に進む行き先をちょっとずらすだけです。


やりたいことは最初からあるわけじゃない。気になることは最初からある。だから、ちょっとやってみる。そのちょっとは人によって違うけど。ただ、そのちょっととピボットを繰り返していたので今があるわけです。


そこにあるのは、承認要求でもコミュニケーションでもないです。自分が楽しいと思うかどうか、それだけです。そう思うと、気になることにちょっとだけ手を出してみるというスタートを切ることがとても楽しいことに思えるんですけどね。どうでしょう。