「正しい」と思って意見を主張している人は厄介です

「自分の考えが正しい」


そう意識していなくても、何かの意見を言うときは無意識に「自分の考えが正しい」と思っていると考えた方がいいです。逆に考えれば当たり前なことを言っているんですけどね。


わざわざ、自分から間違った考えを主張するはずがないですから。


なんでこんなことを言っているのかといえば、議題を検討している中で、会話の口調がだんだんとエスカレートして話す人を見ていて、どうして頑張っているんだろう、ということに気づいたから。


たまたま、その議論ではその人の主張は根拠も乏しく、主張していることは恒常的に例外が生じるくらい穴があるので主張していることがふしぎでならなかったんですね。


で、どうしてかな、と。


例えば、主張することでメリットがあると考える。主張する人はそれの実現によりそれ以降作業が軽減される、権限が増える、などなどが考えられる。主張の対価を得られるパターン。


もう一つは、恣意的に主張している意見に持って行かないといけない義務や責任を持たされている。意向的な事情、みたいな。


最後に思いついたのは、主張してることが「正しい」と思っているケース。


これは、ご本人の思考を元にしているのでとても厄介です。1つ目は、代替するものがあれば主張を取り換える可能性はあるわけです。2つ目も意向のもとから絆せば変わるかもしれない。


でも、最後の「正しい」と思っているケースは精神的なところを考えの拠り所にしているのでそうそう変えることはできないし、本人が「正しい」と思っているから本人みずから「気づく」ことはないのです。


この3つ目のケースの人が混ざっている議論はほんと面倒としか言いようがない。話が進まないんだもの。議題の目的を得るために議論をしているんじゃないだもの。いつの間にか、その人の「正しい」という思いにすり替わったそれと議論をすることになる。


そういったケースは、議題の目的と議論の可視化をすることで信条なんていうものは議論の対象でないことをあからさまにするほかないんですよね。