ホラクラシーはSIビジネスに適用できるか

ホラクラシーが次の組織の形としてポテンシャルを持っているかどうかに興味を惹かれて記事を読んでいるのですが今ひとつ消化不良な状況です。

  • チームに相当する小集団をサークルと呼ぶこと
  • 直属の上司がない真のフラットな組織であること
  • リードリンクが上司の代わりにサークル内のリソースの配分の責任を負うこと
  • CLOU(Colleague Letter Of Understanding)を同僚と話し合い役割と評価基準の同意書を作ること

ホラクラシー自体が、

自主管理の仕組みで職権と意思決定権は流動的に形を変えていくサークルに組織全体を通して割り当て、組織管理方法は複雑な憲法により詳細に決められる

業務の活動が流動的に変化していくことは、定常的な業務もあるのだろうけれどタスクフォース的な業務が多く、能動的にそれに対応するためであれば理解しやすい。

また、職権と意識決定権は組織全体を通して割り当て、とあるように、上位サークルがあってそこで割り当てられると理解すればフラットとは言いながら、階層構造を持っていると理解すればよさそう。

今ひとつ腑に落ちないのは「組織管理方法は複雑な憲法により詳細に決めらる」のくだりで、組織を真のフラットな形状にしているのに「複雑な」憲法が必要になるのだろう。

現状、主流である階層型組織とロールに権限を与える組織形態であっても組織の規程は十分に複雑なことが多いがそれと同じでは自主管理組織を目指すのに支障にならないのだろうか。

ところで、ホラクラシーを導入しているザッポスでは一人当たりの役割が7.4でひとつの役割は3.47の責任を負っているらしい。

ここも分かりにくいところで、一人当たりの役割が7.4あるところまではタスクフォース的な活動に7.4参画しているのだと想定できるけれど、7.4の役割の中で責任を負っているのは3.47というところが引っかかる。活動に参画している以上、役割があって何かしら責任を分担しているのだろうと思うのが現状の組織から想定できることなのだが。

こうした新しい方法があるときには、具体的な例を当てはめてみるとどうなるかを考えるのが新しい方法の理解を助けるので、現状の組織をあてはめて検証するのが良い。

現状のビジネスがプロジェクトである場合、プロジェクトチームがサークルであるとする定義は受け入れやすいと思われる。

上司のいないフラットな組織であることは、サークルの意思決定やモニタリングをするのは誰かという点ではサークル自体に高い組織成熟度を求めていることを暗黙に察することができる。
#そうしたことが詳細な憲法に書かれることなのかもしれない

リードリンクはプロジェクトマネージャと読み替えて問題はなさそうであるが、ワンマンスタイルはあり得ず、協調型でもなく、協議型のプロジェクト運営のスタイルを半ば強制されるということになる。

CLOUは一歩進んだ目標管理ととらえればよいだろう。上司と合意するのではなく、同僚と合意することは明確にミッションをコミットする相手が近場であるために、実はプレッシャが高いと思う。ある意味、成果を相互監視するような仕組みなと見做すことができるのだから。

ここまで考えるとプロジェクトとしての名称はどちらをとっても良いが、組織運営をほらくらしーで試行してみることはできそうである。

でも、それって現行の組織規程のままでタスクフォースに職責や意思決定の移譲をして自律的に運営させる運営とそれほど変わらないのではないじゃん、と思うのだけれど。