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ドワンゴは技術を見て欲しかったけれど、宮崎監督は乙女の視点でコンテンツを見ていたことからエンジニアが学べること

NHKスペシャルでこんな番組があったんですねぇ。何やっていたんだろう、週末。まあ、その時間はほとんどTVを見ていない(消している)筈だから、ツイッターfacebookで知ることがないと見れないけど。

 

www6.nhk.or.jp

それで、ドワンゴが作った動画が炎上したみたいですね。

ドワンゴ川上氏が人工知能で作った動画に宮崎駿氏が一喝 - さまざまなめりっと

ざっと、さまざまなめりっとを見て思ったことをはてブに書いたけれど、

ドワンゴ川上氏が人工知能で作った動画に宮崎駿氏が一喝 - さまざまなめりっと

技術を使えるようにしたい人と技術は道具でしかない人の差

2016/11/15 06:41

b.hatena.ne.jp

と思ったわけです。

どちらがどうのというよりは、エンジニアとして流行りの人工知能とコンピテンシとしての強みの動画を組み合わせるアイデアを思いついたからフィージビリティスタディとして検証していたところに、メディアという世間に向かって発表できる機会が持ち込まれたから、発表することで宣伝になれば投資を回収できると思ったのかなぁ、と。

最後の投資の回収部分は完全に経営者視点ですね。

流れ的にはよかったんだと思うのです。ただ、どうだろう、これも邪推の域を出ませんがこのアイデアを揉んでいるメンバは男だけじゃなかったんだろうか。そんなことを思うのです。

もし、女性がいたらゾンビでもキモ可愛いゾンビにしようということになったのではないかしら。キモいだけではキモいというインパクトしかないですから女性は振り向かないでしょう。

ドワンゴのこの技術検証の中では純粋に技術の検証だけが目的で、作ってみるならインパクトのあるものにしないと世の中が取り上げてくれないというcriteriaで判断したのでしょう。

そこに、極端に正しいものを求める傾向のある日本という価値観、若しくは、エンジニアという限られた世界の男性ではない価値観でゾンビというコンテンツに対する評価をするメンバが必要だったのでしょう。

一方、宮崎監督はエンジニアのように技術を開発する人ではなく、技術を使いこなす人の方ですよね。だって、表現者ですから。

そこにはエンジニアがプロダクトアウトで提案するとやりたことは業務課題の解決であって技術の導入ではないと一喝するマネジメントという構図を思い出してしまうのですよ。

両者は同じテーブルについていますけどね、達成したい目的が違うし、分担する役割が違うんです。理解はするかもしれないけれど、やりたいことが違う以上一致することはないです。

ドワンゴは技術を確立してそれを商売にしたい。それだけなんですよ。そうした人たちが作るコンテンツは表現者の感覚を持ったメンバがいて、場をリードしない限り表現者たる宮崎監督には響かないでしょう。

合わせよと言っているのではなく、開発している技術を使うと今までできなかったこんな表現方法が可能になるんですよ、とソリューション型のプレゼンが必要だったんですね。

それも、ドメインを意識して。パヤオの世界に近しいもので。

つくづく思っていることは、50歳を超える表現者はだんだんと子どもに戻っていくんですよ。好き嫌いがもどっていく。

これは体力的に清濁わ併せ呑むほどの気力が続かなくなるからです。だからだんだんと子どもになって綺麗なものだけを見ようとする。そしておじさんたちは乙女になっていくんですよ。