情報共有の陰に潜む闇

「情報共有」「協働」「コラボレーション」なんと美しい言葉。そしてプロジェクトで問題として現れる一番の事象であって、原因で使われる言葉。そしてその対策もこの言葉。


なんかすごい言葉です。

基盤担当 「そのパッケージの設計導入はこちらの見積もりに入っていませんよ」
アプリ担当「そんなことないよ。提案途中でアプリからパッケージは基盤で全部やるってなったじゃん」
基盤担当 「そんなの聞いていません」
アプリ担当「SOWで分担したでしょう」
ワタシ  「なんでプロジェクトが進んでいるこの時期にそんな話になっているのよ。だいたい、技術課題のミーティングの場を設けてその場でプロジェクトの課題は片付けるようにキックオフミーティングの時に伝えたでしょう。で、それを毎週やっているんでしょ」
アプリ担当「やっていますよ」
基盤担当 「はい」
ワタシ 「じゃあ、なんで別の場でそんな言い合いしているの。自分たちで片付けられなくて裁定して欲しいのかな」
アプリ担当「いえ、そういうことでは」
基盤担当 「いえ…」


どうでもいいですけど、アプリと基盤ってなんで、こう、もっと自分の仕事が思っているように回るために相手を動かすように働きかけないんですかね。


自分たちの仕事が他者に依存関係があって遅れて困るなら、自分たちの思惑を策に落として相手に動いてもらうしかないじゃないですか。


それをつっけんどんに言ったらそりゃ揉めたくなくても揉めるネタを自分から蒔いているようなものです。


で、そんなごたごたを内輪の場であってもやり合っていては誰が収めようとしてもこうなるでしょう。

裁定者 「アプリと基盤はお互いの情報を共有してプロジェクトとしての方針をすり合わせ対処するように」


どうして共有しなければならないことを共有しないのか
自分たちのして欲しいことを伝えないですよね。どうしてでしょうね。


こうしたことは大なり小なりで日常茶飯事です。で、ごたごたを起こしているPMを捕まえて事情聴取するとだいたいこういったことが返ってくる。

某PM 「『共有』しましたよ。いつまでにくれって」
某PM 「初めてじゃないんだからわざわざ『共有』しなくてもわかるでしょ」
某PM 「前のプロジェクトでは同じように『共有』して対応してもらったんですが」


出てきた、「共有」。プロジェクトは唯一無二なんだよ。そこ忘れちゃダメだろう。前は前、今は今。プロジェクトは別の生き物ですよ。


じゃあ、どうするのよPMさん。何が原因だと思うの。

某PM 「繰り返し『共有』しなかったことかな」
某PM 「『共有』しないと判断したのは間違いだったかもしれません」
某PM 「同じ顔ぶれだったので『共有』しなかったからですかね」


本当するんだろうね。じゃあなんで今回しないでいいと思ったのよ。もう起きてしまったことよりこれからどうするのよ。

某PM 「こちらからきっちり『共有』します」
某PM 「念のために『共有』するようにします」
某PM 「毎回、同じように『共有』するようにします」


まあ、こんなものですよ。原因も対策も。


どこに共有されない原因があるのか
根本的に自分に何かして欲しいなら先方から言ってくると思っているんですよ。で、そう思っているのに自分からは実現したいことにコストを掛けないんです。


なんと!先方が情報を欲しいなら先方から寄ってくると思っている。その上、自分が先方にやって欲しいことは最小限の情報提供でやってくれると思っている。


それ立場逆転したらどう思うの、って思いますよね。


その矛盾に気づけば何をすればいいか理解できると思うのですがね。言えばやってくれると思っている。そう思っている人は、やってもらえない時のことを考えていないんですよね。とっても自己最適化しているというか、世界は自分を中心に回っていると思っているのか。


共有は、相互に情報を、プロトコルを合わせて、交換するから共有なんですよ。一方的な、片道の疎通ではダメなんです。ちゃんと、ackを確認しないといけない。無手順ではダメなんです。同期していても、エラーがあったら再送しないといけないし、エラーがあるかどうかも見ていないといけない。


そこまでするのが共有ですよ。