エクセル方眼とかアウトプットは共有が目的なら適当ではないのは自明なのにどうしてなくならないの


先日の続きで仕事場の昼友とバカ話をしているときに、みんな大好き「エクセル方眼」の仕様書をグーグルグラスや脊髄に直接プラグインしたら古い年代のシステムエンジニアはメモリーリークしちゃうんじゃないの、みたいなところまで話が行っちゃって吹き出しそうになって。


エクセル方眼に関わらず、仕様書は機能単位などの何らかの単位で分業をすることになるわけですが、その1人の担当であっても何らかの単位でアウトプットである仕様書の物理ファイルは分けますよね。例えばミドルウエア別にエクセルのファイルを作る、みたいな。


この、担当別や機能別や工程別でアウトプットを物理的に分けるのって前工程や横並びの一環から相互に前情報を入力として記載することになるんですが、これはなんとかならないのでしょうか。


障害を生むのは人が作ったシステム構成やソフトウェアです。


そこに人手を介した転記が介在します。インフラのパラメータ設定ミスやアプリのプロパティの設定ミスなどはこうした転記が割と多かったりします。


そしてその再発防止はチェックリストや相互チェックだったりとほぼ精神論なわけで。


文書体系や適用範囲、対象読者や前提条件などは完成図書の分冊イメージを引きずっているのと文書の責任範囲を明確にしておきたいという背景があるんだろうなぁと想像するのですが、そのあたりの新しいソリューションってないのかしら。


そう言えばだいぶ前にドキュメントを作成するときに覚えたのは、極力、文書体系上の参考文書を前工程から転記しない、というやり方でした。ある文書の担当を引き続いたら元となる文書を包含的に作られていて、元文書が改定されるたびに煽りを受けてその文書も改定せざるを得なくなると。


なんとかしましょうと当時のリーダと話して決めたのは参照する部分は全部そっち見てね、としたことです。前述した責任範囲を明確にするパターンですが外部文書(他の組織が作る文書)だったのでこれはこれで仕方がなかったかな。利用者は2冊読まないといけないわけですが包含して整合性で四苦八苦するよりはシンプルで薄っぺらになった分、読みやすくなったのでした。


そろそろドキュメントの作成と共有ってイノベーションが起きてもいいと思うのですが管理から作る目的に戻らないとダメなんでしょうね。