忙しくても集中力を維持していたときの話


仕事ではない範疇で分担している人の作業が気になるんですよね…。1度経験したことは次に生かしてほしいなぁ、と思うのですが…。ここ最近、そうした人たちの行動を見てしまうとこころが痛むんですよね。事情はあるのでしょうができるスケジュールを作りましょうよ、と。性分なのかなぁ。


それはそれとして、去年の春先はとても忙しくて3月とかは乗り切れるんかい>自分、てな感じで自分自身に突っ込むくらいだったんです。そうしたツッコミできるくらいの余裕は持っていたので乗り切れたから今存在しているというのは少し大げさですがね。


イメーシやすく言うと、プロジェクトを3つ抱えていると思っていただけると良いかと。全部、プロマネで。1つは安定していて、1つは佳境で、1つは立ち上げ、のイメージです。面倒臭かったのは最後の立ち上げですね。プロジェクトメンバにあたる人たちとの価値形成が非常に時間がかかりましたから。


忙しいほうが集中できる不思議
不思議なことに、3つとも忙しいかったのが良かったと思うんですよね。忙しいということは、やることがわかっていてそのやることをこなすための時間の取り合いをどうするか、せめぎ合っているようなものです。それぞれに締め切りとかマイルストーンとかの日程的な制約があってそれに向かって片付けていかないといけない。


それぞれに求める作業の品質があるのでそれを蔑ろにしてしまうとパラで作業をしていること自体を否定してしまうのでそこは維持したい。求める品質を確保しつつもひとつ一つ終わらせていく。


時間の利用の効率化を考える
ようになるんですね。当たり前ですが。どこに隙間の時間があるかと。自分の24時間をどう使っているかを見つめ直すんですね。あ、ここ遊んでいるじゃん、とか。遊んでいても何か関連して意味のあるもんを生み出しているんならいいんですが。時間泥棒というようなことを見つけると、その時間でこれができる、と思うようになる。


とはいえ、ある程度まとまっていないとアウトプットにならないこともあるので、うーんと、1時間くらいかけないと1単位のアウトプットにならない、とか。そうすると、細切れの時間はそのアウトプットのネタ探しとか資料読みとかに当てよう、と考えるようになる。そして、それを試していけそうだと見切れればルーチンに昇格させたんです。


忙しいのは違う方がいい
たまたま、忙しい時の3つはそれぞれテーマが違っていたのが良かったかと思います。頭の中を切り替えるのには慣れるまで困惑しましたけど。でも、違っていたからこそ頭の中を切り替えられたんですね。同じだったら、同じものをずっと続けている気がしていつまでやるんだ、なんて感じたかもしれません。


違うからこそ、じゃあ、そこまでこの時間で仕上げよう、終わらせようと自分に目標を設定しやすい環境を作れたのではないか、と。


忙しいときこそ頭を弛緩させない
もし、その忙しときに忙しいテーマと関係のないレクレーションを挟んだらどうだったのでしょう。リフレッシュできて良かったのでしょうか。それは違う、と思うのです。頭を休めてしまうと集中力が切れてしまうんです。エンジンが止まって冷たくなってしまう。それを温めで定常のスピードが出せるまで集中力を回復するの、すごく大変です。


今がそれの状態に近いんですけどねー。集中力はある程度のレベルの高さで維持しておく方が遊びを挟むとしてもハイでいけるので満足度が高いんですよ。あーちょっと今のタスクのスケジュールを具体化した方がいいぞ、自分。