システムエンジニアの次世代のリーダは誰が実現させるのか

「リーダが育たない」
「インフラの次のプロフェッショナルが出てこない」
「この先危ないと思っている」


こんな相談とも愚痴とも判別しづらい会話を幾人かのマネージャから聞いていたのはもうだいぶ前のことなのですが、そういえば最近はめっきりと話題に上がらなくなったのは問題が解消したのか、それとも諦めたのか…。


専門性を持っているリーダはアプリでもインフラでも重要で、そうした層を組織として相応に抱えていないとプロジェクトはいびつになり、プロジェクトを始める前から破綻しかねないリスクを負ってしまうのです。


頻繁に相談を受けていたころからそれなりに時間が経過しているので、当時リーダだった人たちやプロフェッショナルだった人たちが50代だとしたら、だんだんと定年がカウントダウンが始まっている状況なのです。


リーダになるまで、リーダの候補者のロールはサブリーダクラスかいち担当でしょうから、専門性を発揮していればプロジェクト的に貢献していると言えたわけです。ところが、リーダになる時点で仕事の転換のスイッチが自動で始まります。これはロールとして求められる必須のことで回避することはできません。


いち担当からリーダにロールが変わることはまさにクラスチェンジを求められるということです。専門家でよかった責任範囲、思考、行動、判断基準がリーダとして求められるようになります。いち担当としての観点で、専門家としての責務で関与していればよかったものが、プロジェクトとして全体をコントロールすることに責務を負わなければならなくなるように変化します。


これまで専門家としての観点だけでプロジェクトの一部を照らし、そこにフォーカスしていればよかったのに、リーダになるとプロジェクト全体の範囲を照らし、様々な角度から見回すことが求められるようになります。


何の前触れも、準備もなく。


何も準備していなければ、リーダになったばかりでは周りからあれこれと言われてそれに応じるだけで手一杯となってしまいます。多くは今まで経験してきた専門領域の延長線上でのリーダにアサインされるでしょうから、そうした専門性も期待されつつもリーダとしての遂行も期待されているので、増えた期待を自分なりに解釈し、アウトプットできなくて沈んでしまうのではないかと思うのです。


リーダとして求められるミッションには、技術の専門家としてのスキルのような一点に集中したすごさではなく、コントロールするための幅広い形式知と応用力が求められます。


ところで、こうしたリーダになるための前提となる形式知や訓練はどこで誰が考えておかなければならないのでしょうか。


ワタシは冒頭のマネージャ自身ではないのか、と思うのです。システムエンジニアという種を受け取ってから水も肥料も適切に与え、組織のビジネス戦略に柔軟に生きてけるような剪定をしつつ、伸ばすことをしてきているのか、と。


今、マネージャの人にはそうした考えを持って取り組んでほしいし、そうしないと人材的にジリ貧となってしまうし。マネージャは常に次々世代まで考えた人材のあり方を考え、実践する必要があるのです。