仕様検討の資料レビューはデモである

デモはデモンストレーションのデモ、ですね。さて、デモの意味を辞書で引くと3つ出てきます。

1 抗議や要求の主張を掲げて集会や行進を行い、団結の威力を示すこと。示威運動。デモ。
2 宣伝のために実演すること。
3 競技大会で、正式の競技種目以外に公開される競技・演技。公開演技。

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1番目は文脈から違うことは明らかですね。そうすると、2番目か3番目の意味合いになりますが、仕様検討をしている仕様のシチュエーションでどちらでも当てはまりそうです。ここでのシチュエーションは工程、企画段階や実際のプロジェクトのくらいのイメージで捉えると同意しやすいかもしれません。

レビューの登場人物

企画の際の資料レビューでもシステム開発での仕様検討の資料レビューであっても、レビューなので資料を作ってレビューを受ける側と資料の内容をレビュー観点を持って合否を判断する側の2つの立場が存在します。

ここでは、資料を作り、レビューを受ける側と設定します。

一歩離れればレビューってまるで…

資料レビューの当事者、レビューアとレビューイから一歩離れて客観的にレビューを見るとレビューアはレビューイから資料の内容の説明を受け、理解し、判断しようとしています。まるで仕様のデモンストレーションを見ていると表現することができます。

片や、レビューイは、作成した資料に同意してもらえるように資料をデモンストレーションしているように見ることができます。

そうなんですよね、資料レビューって資料をデモすることなんですね。一般的に使う「デモ」という言葉には、前述のとおり、2番か3番目の意味があることはすでに確認したところです。

デモの目的

2番目の宣伝するにしても、3番目の公開演技するにしてもそれが技術のデモであれば失敗することは、宣伝の失敗となりますし、公開演技のデモの失敗は、広く知ってもらうという目的を達成できなくなってしまいます。

資料レビューがデモであるとするならば、資料レビューの目的、資料内容を理解してもらい、同意してもらうために失敗しないように準備をしなければなりません。漫然と資料を作ってレビューを受けようとしているなら、準備が十分ではなく、レビューは差し戻しになっても当然の結果ということができるでしょう。

そうしたレビューの失敗から資料レビューはデモあると逆に位置付けるとレビューに対する見方を変える観点にすることができる、と思います。

まあ、物の見方、切り口は変えることに意味がありますから。

デモとしての資料レビュー

ところで、どうして資料レビューを「デモだ」と思ったかを話すと、ある企画の資料のたたき台を作り、場を設けてステークホルダーに説明したことがあったのです。

その際のステークホルダーは、資料見つつ、内容をイメージし、イメージした内容があたかもそこにあるように理解を共有しながら、提示した課題についてさらに想像を広げ、方針について同意に至ったということがありました。

それはまるでデモ環境をいじりながらイメージアップをしたように後から思えたのでした。

そう思えると、資料を説明する際には、デモで準備することをレビューでも準備すればいいのだ、と思ったのです。