業績評定に納得いかないエンジニアが不満を撒き散らす前に一読するといいかもしれないこと

業績評価は評価された本人と評価したマネージャの間の二者間で行われるもので基本的に闇の中で行われると言ってもそうそう間違いではないと思っています。いやいや、評定結果はマネージャの上長や人事まで知っているじゃないかと思うかもしれないけれど、評価範囲の中での評定であれば基本的に誰も口出しをしません。口を出してくる場合は、何かしらの力学が働いているか、被評価者であるエンジニアからのクレームにより事情を把握しなければならない場合に限られるのはどこの組織でもだいたい同じです。

幸か不幸か、ワタシは評価される側のエンジニアの経験と評価を{する|される}両方の立場のマネージャを経験しています。組織においては、基本的にマネージャ職は必ず両方の、つまり、評価を{する|される}ことになります。経営のトップでさえ最終的には株主から評価をされるので評価をされないマネージャは存在しません。

ブログタイトルを読まれるとマネージャサイドからの上からのものいいかと思っていたかもしれませんが、上述のとおり、常に両方の立場なので上からじゃないよ、とは最初に言っておきたいことです。

因みにワタシ自身がエンジニアであったときの評価は今の自分の今の状態からは想像できないかもしれませんがほぼ惨憺たるものでした。それは自爆的なほど貢献できていなかったことを自覚している時期もあれば、エビデンスでアピールをすることが不足していた時期もあったり、単にマネージャと合わないという時期もあったりしましたが。何れにしても、所謂、評価されているだろう同期や後輩のトップレベルが人事報に昇級している様で評価されている人がいるのだと知ることはあってもこちらはさっぱりで、ただ、それを羨んだり妬んだりしようとは全く思いませんでした。

評価は、他所は他所、うちはうち、の原理が働くからです。

評価は二者間で行われる

評価は二者間で行われるものです。もう少し広くプロセスをカバーするように話せば、評価のための指標があり、指標は目標から設置され、目標は目的から展開します。目的は組織の中での目的ですから、事業課題の解決手段である事業戦略に紐付きます。

まず、評価はそれ単体で行われるものではないことを評価結果を見て憤慨する暇があったら認識してください。エンジニアのあなたの目的が期待する評価値を得たいなら尚更です。エンジニアであるあなたが事業課題からあなた自身の評価対象となる指標の設定を自分で行ったかを自分に問う必要があります。期待する評価値を得られていない場合は100%評価値の設定が曖昧であり、評価オブジェクトも不明瞭に原因が存在し、そのような評価値で年間の活動を過ごしてきた自分の無能さを認識すべきです。評価値を第三者が見ても同じイメージができるように設定し、年間の活動でエビデンスを採取し、評価時期のクレームでマネージャ評価を期待どおりせざるを得ないようにエンジニア自身がマネージャの評価の外堀を埋めなければなりません。それはエンジニアであるあなたの仕事の一つです。なぜなら、期待する評価を受けたいのはあなた自身だからです。同僚のメンバや上司のマネージャはあなたを評価したいと思っているわけではありません。

ただ、定量的な指標値を設定し、エビデンスで外堀を埋めたにも関わらず期待する評価にならない場合は、マネージャが無能か、属する組織の収益が赤字で評価の見返りとなる財源が確保できていないためです。つまり、マネージャが無能だからです。さっさと異動してください。

やったでは評価されない 

評価のクレームをあげるときにエンジニアであるあなたは上流の設計書で言葉を選ぶように繊細な配慮で年間の成果を第三者が読んで、なるほど、このエンジニアを評価しないわけにはおけないと、印象づけるような簡潔で的を射たレポートを書けていたでしょうか。1年間の活動を限られた文字数で表現することが求められていることを認識しなければなりません。あなたに代わり、あなたが選んだ言葉で表現される成果をまずは絶対評価をマネージャはします。そのあと、同じランクのエンジニアの母集団の中にあなたの評価を混ぜ、その中でレーティングを行い、上位から被評価者をより抜いていく作業を翌年に割り当てられる財源の上限に達するまで行われます。あなたが他のエンジニアより1ミリでも抜きん出ればあなたは評価されるでしょうし、埋もれてしまえばそれだけで1年が終わるのです。

なぜ、第三者が読んでもあなたの貢献が理解できるように書かなければならないか、それは上述したとおりに絶対評価の後に相対評価が待ち構えているからであり、相対評価されることは学校で比較されてきたことを思い出せば学校の中ですでに学ばされてきたということをあなたは自分の評価されたいという一面だけで物事を捉え固まっている限り評価はされないと思った方が良いでしょう。

マネージャは相対評価を行うときに貢献度を上司であるマネジメント理由を問われたときに説明しなければなりませんし、それに耐えられるエビデンスが必要です。不正でない、組織の評価指針に照らしても遜色のない形で評価エビデンスを残さなければならないのですから。そうであるはずのマネージャが評価ロジックを立てていない、つまり、印象で被評価者を評価しているのだとしたら、これもまた無能なマネージャですから、そのようなマネージャの元で働くことは早々に辞退すべきです。ただ、そうであっても評価させるように差し金し、手のひらで踊らせることができているのなら乗り続ける選択肢もありでしょう。お好きになさい。

自己評価の甘さ 

業績評定に納得いかないエンジニアの自己評価でまともな評価を申告するケースは皆無です。全くのゼロです。まともな自己評価ができないエンジニアは、自分は仕事をした、忙しかった、やってあげた、と全て自分の感情を根拠とした自己都合の判断と呼ぶには憚れる程度のものが根拠でしか存在しません。自己評価を適切にできないエンジニアは、評価が自分の実績を期待する評価値に置いてから評価される理由を構築し始めます。つまり、第三者が指標値に対するエビデンスの達成度を見て評価するようなロジックではなく、指標値は考慮対象にも置かず実績値として欲しい評価結果を結びつけるという暴論をでっち上げているのです。こうして作られたものは比較できないのですぐにバレるし、他の同僚の方の成果の方が確実に貢献度合いが高いものです。

一方、自己評価を卑下するエンジニアも存在します。申し上げたいことは評価は自分でした方が良いものと任せてしまった方が良いものがあることを知っていて欲しいです。絶対評価はエンジニアの自分自身の1年間の活動開始時点と1年後の評価時期の自分自身のベンチマークです。ですので、何ができるようになったのか、どれだけ技術力が深まり、自身でカバーできるロールをあげられる準備ができたかはエビデンスを用意し、断固として主張すべきです。そして次年度はロールをあげてもらうことをコミットしてもらうべきです。ただ、相対評価は同じセグメント内での優劣を第三者が決めることでエンジニアがいくらヤキモキしたり心配しても何も影響を与えることはできません。つまり悩むだけ無駄だ、ということです。

 

まあ、エンジニアが期待する評価をして欲しいなら、評価せざるを得ない状況に追い込むんだよだし、マネージャで評価ロジックを持っているマネージャは実は少ないよ、という事実で世の中は回っているのです。だったら、早くマネージャ側に来て一度やる側になりましょう。