境界線のない仕事とリモートワークとのモヤモヤ感

仕事をし始めた頃、世の中で割と言われていたことは、パブリックとプライベートを分けようという考え方がありまして。どんなことかというとそれまでは、社会人になって仕事が業務時間に終わらずそれでも方がつかないから家にまで仕事を持ち帰って週末追いつくような仕事の仕方をしている、というようなことです。確かに、週末の電車で会社の紙袋に書類を詰めて手に提げているお父さん達をかなり見かけたことを思い出したり。

仕事は仕事、オフはオフ。みたいに仕事も区切りをつけて、遊ぶときには遊びに専念することで充電して、また仕事に集中する、ような仕事の仕方をしたほうがいいだろうということだったと思うわけです。

あれが90年代前半だったとして、それから20年たった今、リモートワークや在宅とこれまで仕事は会社でとしていた向き先が20年前に戻ろうとしているように見えています。

IT業界は情報通信インフラを提供する側なのでリモートでの仕事は進んでいて、今の社会が進もうとしている先を行っていると思うのですがそこでモヤモヤ感を感じるのですよ。

労務管理として

メンバには、休日仕事をする場合は仕事場でしなさい、と言っています。なぜなら、本人にもしものことがあった場合、業務上に起きたと証拠を作りやすいためです。あと、誰か数人は同じフロアに別の要件でいるだろうからという保険的な意味合いもあります。

これがリモートワークや在宅になると救えないケースが出てくるかもしれないと考えているからです。

まあ、自分はどうだったかといえばコワーキングな休日出勤でなければ、自宅でやっていたケースもありましたが通勤時間を掛けてでもと思い直して仕事場に行くようにしました。

リモートワークとして

 リモートワーク、カタカナにするとなんでもかっこよさげに聞こえますがそうでもないです。

問題なのは本当に成果が得られるのかってところです。一応、仕事場に行くことで仕事をする時間に区切りを入れてその枠の中で成果を出すことに集中することを半ば強制するのですが、リモワしてそれが自宅なら成果を得られるために際限なく時間を使えてしまうので返って同じ成果を得るために非効率になってしまうのではないかと。

できる人はいいんですけどね。自律して(律するですよ)成果をあげる人ならね。

コミュニケーションとして

 リモートワークも在宅も必ず問題になるのがすぐに聞けないという環境を自ら作ってしまうということです。

必ず問題になるのが意思伝達系です。隣にいれば割り込みかもしれないけど聞いたり確認したりできます。それに慣れているとすごいストレスを全員が持つようになります。慣れるまでは。

仕事の仕方も変わります。バッチになるんですよ。チャットを使うとしてもオフラインやミュートしていたら気づくまでお預けです。

それで非効率性を生まないようにするには段取りを考えなければなりませんし、オンライン上でコミュニケーションをする機会が多くなるので言葉の伝え方の工夫が全員に求められるようになります。

今まではボディランゲージで伝えられたことが言葉だけになるということです。

みなさん、それをやらないといけないんですけど大丈夫?

休日働く事自体について

 一週間に仕事が終わらないことそれ自体がおかしいと思わなければいけないんですよね。確かに予定していた作業に何かが割り込んできたら押し出された仕事はどうなるんだとなるわけですが、それは射し込んできた側にそれをやるなら予定していた仕事は遅らすぞ、と交渉しなければいけないのです。

普段からそれをやっておかないと、プロジェクトでも依頼者側の都合で射し込んでくるタスクと計画したタスクを抱えて最悪両方共倒れになってしまうリスクがあるんだと明示しなければ危なくてしょうがないです。

休日作業の評価として

 あと、じゃあと差し込まれた作業も計画した作業もやったとして評価はどうなるか、やった分だけプラスになるのかというと、実はそこは考慮されないんですよ。どこの時間を使ってやろうが結果だけで評価しているので。

だとすると、無理をして休日に仕事をするなら代休を必ず取る前提でやらないと、ですね。こうして一週間は80時間が枠でそれをどこでやるかは相談に応じるけど超えない、というスタンスを持たないといくらでも仕事を突っ込まれるので。

 

 個人的には歓迎ですね。成果で仕事をすればいいので。その分、同じように見るけどね。努力だって、いや、締め切りまで要求する品質レベルのアウトプット出さなければ評価ないですよ、となるわけですが耐えらるのかな。

 

 

働き方の問題地図 ?「で、どこから変える?」旧態依然の職場の常識