社畜感をやめたら自分で社畜を始める業に名前をつけたい

システム開発のプロジェクトマネージャやマネージャ業をしていたある時期は、そこそこの社畜感を出して仕事をしていた、というか絶対的に時間が足らなかったので週末の1日を潰したり、夜にメールを読んだり、あれこれ考えていたりと仕事ファーストだったんですよ。トラブル案件の立て直しは次元が違うのでアレですけれど。

割と人事に翻弄される人っぽいので、あっちに飛ばされたりこっちに戻されたりとしているうちにやりたことも出てきたりするわけです。

あと事業部門から管理部門へ行ったり来たりしていると時間の使い方も変わります。それはそれで1つのエントリになりそうなのでご要望があればブコメにでもリクエストを書いてください。目に入ったら書くかもしれません。

世の中、所属する組織でもこれほど(人事的に)動かされている人は少ない方じゃないかと思うのですが何か自分に問題があるのか、それとも人事の思惑があるのかは当事者ではない単なる労働者ですからねぇ、どうなんでしょう。

それでやりたいことがあってやり始めたら、昼間の仕事を持ち帰るなんてことが馬鹿げたように思い始めたんですね。

どこかで書いたかもしれませんが、1つの仕事を何時間掛けてやろうが仕事を依頼した側は何時間掛けたんだねとは思わないです。終わったかどうかしか気にしないです。

思い出してください。プロマネやマネージャは「終わったか」「いつ終わるか」しか聞かないのですから。少し気の利いたプロマネやマネージャなら終わらないと察した時点で進捗の障害を分析してあれこれ障害を取り除くように指示するもんです。

言われた通りにやる奴はバカで、やらない奴はもっとバカで、工夫してさっさと終わらせる奴が偉い的な名言をどこかで見たはずですがそれと同じなんですよ。どこがといえば、昼間の仕事を時間外に持ち出すことです。

確かに社畜感を感じていた当時の仕事量は自分のキャパを超えていたかもしれませんがリソースは1単位しか無いのだからどれかを調整しなければならなかったのが今なら思えることです。マネージャとして自分でやる仕事の範疇、例えばプロジェクトのモニタリングする対象範囲の閾値を上げる(絞り込む)とかモニタリングするプロジェクトをデレゲートするとか。プロマネだったら、まあ、裁量の観点でメンバに移譲する範囲を増やして全検検査ではなくサンプリングに変えるとかで時間の創出をすることで溢れたことを吸収するとかだったら、やらないことの線引きを変えるとか。

今だから思えることですけど。

色々あって、やりたことが出来てきてそこそこの成果があると次のアイデアが浮かんでは試してを繰り返しているとまた派生のアイデアが浮かんでと兵站が持つのか的な感じになりつつも取捨選択しながらもあれこれとやって見たいことが増えていく一方になりまして。全くもって人の業は消えないものなのだなぁと。

選択肢としては、何もしないというのもあるんですよねぇ。でも耐えられないんですよ。週末に面白みを感じないバラエティを眺めるような何も生産しないことが。なんなんでしょうねぇ。このマグロっぽい性質は後天的に得た性格なのかそれとも生まれ持った性質なのか。

 

 

Effective DevOps ―4本柱による持続可能な組織文化の育て方

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