技術はないが優秀なエンジニアレベルの高さに戯れられるエンジニアでありたい

子どもの受験を傍観しているもう1つのブログに書いたほうがいいネタかもしれない。この画像を見て、上の子が高校に進学したあとに言っていたことを思い出した。

 

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近所の公立中学でそこそこ良い成績で公立で伝統校に入ったら、周りが自分よりすごく優秀で挫けそうだと言っていた。ただ、上の子は自分の解決方法を持っていたのでそれで大学受験を乗り切った。

あまり、心情は話してくれない、ー誰だってそうだろう。身を置く環境の競争相手が優秀すぎることを目の当たりにすれば心が挫けそうになるし、実際挫けてしまう。そんな心情を赤裸々に話したところで結局それを解決するか逃避するかは自分であることもわかっているのだからー し、話すことでもないと思っているのだろう。

親としては、ただ、見守るしかない。助けを求められたら何かしら示唆をするだけだ。

全員が全員ではないのだろうが、優秀な子たちの方が先にこうした挫折感を体験して、そうした体験をいかに乗り越えるか争うのではないかと思ったのだがどうだろう。

どうしてそう思ったのか。

それは、自分がそちら側ではなく、争うより諦めたり、回避することを選んできたからだ。その意味合いで言えば、プライドを持っていない。そんなものを持ち合わせていたら諦めたり回避するなんて選ばない。

話を戻して、優秀なクラスタの中での挫折は、エンジニアとしては喜び勇んで経験をした方がいいと思っている。

もう10年以上前になるが、あるテレコンが終わったときに同席していた部下のプロマネがこんなことを言っていた。

 

「いや、頭のいい人たちと会話するのはいいですね。会話が成立するし、疑問が湧いてもすぐに解決する」

 

これを聞いて、普段はコミュニケーションを取るのに苦労しているのだろうなと感じていたのでよっぽどの事なんだろうと思ったことを思い出した。

優秀なエンジニアやPMの中で仕事をするとこれと同じような経験をすることがままある。こちらとしては、冷汗をかくことばかりだし、実際、脇の下にツーっと汗を感じながらやり取りをした経験には事欠かない。

普段一緒のメンバとのプロジェクトは気心はしれているし、気は使ってくれるし、お互いにどう進めるかを知っているのでトラブルが起きてもチームでなんとかしようとする雰囲気がある。 

それでもなお、優秀なエンジニアの中で仕事をする方がより楽しい。冷汗と学びを交換しているようなものだが、普段と違うのは緊張感があるからなのかもしれない。

 今思えば、学生の頃に、今のように緊張しながら優秀な中に入っていって、わからないことを好き勝手に聞くことをしていれば、これまた違った経験をしていたかもしれない。

不思議なことにこの歳になってからの方がそうしたことをしたいと思うのは、まだまだ子どもなのかもしれない。