連休に自分が空っぽであることを知る

連休中にやることをポストイットに書き出したらそこそこの項目があったので気の向くままに手をつけたり、先方の都合に合わせたりしながら片付けた。

連休を終わって改めてそのポストイットを眺めると思った以上に家に関連することがあって、去年までとは違うな、とそう思った。

そう言えば、一つ前から実現したいことがあってそれを安価に実現できたのはまあまあよかった。これで夏場の作業が楽になりそうだ。ちょいと改善が必要だが。

じゃあ、PCに向かう時間が減ったのかというとそうでもなく、何割かの自分の連休中にやっておこうということもあったので仕事のある日までではないけれど、それなりにPCの画面で何かしていることがあることも無くせないのだなと。

その中でも前の区切りから3年が経ったのでその間に仕込んだことの企画を体系的に整理を始めたら思ったより自分の中が空っぽだったことがわかった。

何がどう空っぽだったかというと構成を組んで全体のボリュームを考えたときに構成の中身の標題がなかなか埋まらないのだ。これはどうにもし難い。埋まらないから、PCの前から離れて別のどうしようもないことをして、気になってまたPCの前に座って唸る。

池波正太郎は書けなくても毎日数ページでも書くんだよという意図のことを言っていたが、まさにそれで、何か文字を埋めないと全くもって真っ白のままだ。

ただ、構成を埋めていくとあれをしよう、こうしようと思うようになるのも又不思議な事で、どうしようかとか相応しくないとかそんなことが頭をよぎったとしても、それでも埋めていくのがいいのだと実感する。

それとは別に連休の冒頭にスライドを作り始めて、途中で切り口を変えてみたり、後半に参考画像を入れ込もうと用意しておいた画像を貼りつけながら肝心の参考画像がなくてどこに入れたか随分探したが一向に見つからない。

なくてもいいかと諦めて(無くても差し障りがないように構成して)、別の資料を探していたらひょんなところにそのファイルがあったのを見つけて戸惑う。

こういう体験をするとポートフォリオというか個人のリポジトリはどこかにまとめておくことをしておかないと散逸してしまい、必要なときに探せない。

話を戻して、埋められないままにぽっかり空いた領域は未だその状態だ。未だ白い箇所があるのにも関わらず、さらにその詳細をこんな風に建てつけしたいと仔細に走るのもやっぱり空っぽであるから楽しい方に自分からすり寄っているのかもしれない。

それとは別にその企画を覆うもう1枚のスライドというかエレベーターピッチ的な物を作っておきたいという気になって、それは近々に片付けておかなければ。

こんな連休の使い方をしていると、連休中に何してたと聞かれても、家に引きこもっていた、くらいしか言いようがないのだよねぇ。

 

 

システム工学 知識システム II 知識の創造と意思決定 (東京大学工学教程)

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