「○○して」と言われてイラっとしたら

誰から、そうだな上司やプロマネから「○○して」と言われてイラっとしたとしよう。

イラっとした自分は「何に」イラっとしたのだろう。

エンジニアはチームを組んで仕事を分担するやり方を取る。一人で全部やるには広く深い技術が必要になるから分業をせざるを得ない。

自分がチームの中でどういったロールにいて、チームメンバとどのような関係にあるかを自分で間合いを計りながら存在価値を確保しようとする。

リーダの役割で他のメンバと協働する環境を作ることに腐心しているかもしれないし、あれこれ指示を出しても思うように動いてくれないメンバに悩んている最中かもしれない。

自分はどうして「○○して」と言われてイラっとしたのだろう。

自分の経験から言うと、ストレスを感じていることに対して何かを言われるとスイッチが入るときがあった。流石に今の年になるとほぼなくなった。良いのか悪いのかは知らないが。ただ、それで困っていないので良いのだろう。

「○○して」と言われてイラっとすることの対処としてアンガーマネジメントが良いのではないかと言うことを言う人がいた。多分、イラっとした結果だけを取り出してそういったのだろう。もしかすると、そう言った人は話を聞くとアドバイスをしないと死んでしまう病に罹っているのだろう。

アンガーマネジメント自体、怒りを感じたときに自分のことを第三者的に外から見て、怒りの感情で反応することをコントロールする仕組みであるから、感情を抑えることが目的になる。

「○○して」の「○○」のことが敏感に反動するほどストレスに感じているのではないかというコメントをくれた人がいた。自分としては、この意見に同意したい。気に掛けていたことを触れられたからイラっとしたのだろう。これも自分の経験から言えばとても納得感がある。

自分で(ストレスを感じるほどのことに対して変えたい)実現したいことがうまくできていない状況で、外からそこをツンツンされると不快になる。自分でギャップを感じているのに別の期待が押し付けられるからだ。

こうした「○○して」と言われてイラっとしたと感じたら、やっぱり何かしら自分自身が感じているストレスを変えていくアクションをしたほうがいいと理解して、何かやってしまうと言うきっかけだと捉えるのが良いと思う。

ストレスに感じていること関係するメンバはそれほど気にしていないことが多いのでアクションを取っても反発を食うことはそうそうなく、肩透かしとなることの方が多いのだから。

そうそう、不思議なことに自分により身近にストレスを感じていることに対する方が、イラっと感じやすい。プロジェクトの大きな問題になると手に負えなくなって放棄するのか急に他人事になってイラっとしなくなる。

イラっとしたら、自分がイラっとしなければならないのかを考えてみるといいのかもしれない。