アジャイル界隈の片隅で

ガッツリアジャイル開発をしているわけではない。別のテーマで書いてきたように、もう何年も前にウォーターフォールもろくに回せないプロジェクトをリスクを許容できる範囲であることと解決したいプロジェクト推進上の課題を解決するためのカンバンを導入したのがアジャイル界隈に出入りするようになったのが経緯である。

ただ、アジャイル開発の隅っこに出入りするようになって、一番実益を受けたのは自分の仕事だったという事実がある。何で実益を受けたと言えば、スコープの定まらない仕事をする際にアジャイルの考え方はとてもマッチする。

担当するビジネスや企画系のプロジェクトでバッチリ嵌るのは、何をするかから決めて、次のタームでどこまでやるかを決めたりして早いサイクルで日々結果を出していったりするからである。そうして切り出していったものはプロジェクト化されるので、スコープもきっちりするから後はフィットする開発手法でどうぞ、となる。

そうしたやり方や形式知としてインプットとなる情報は、自分で見つけるより教えてもらう、いや、お友達が関心を持っていることをシェアされることで知る機会がとても多くなった。この辺りは認知の方の話なのだろうが、いずれにしろ、そんな本が出たのねとか、過去にそんな本があったのかとか、お友達のお友達が書いていたんだとか、そういった流れで教えてもらえるのはとても助かる。ただ、積ん読が増えたり、欲しいものリストが溜まりに溜まっていく。

世代的に界隈の方は若いからか、界隈としての文化なのかは判別つく情報を持ち合わせていないし、もしかしたらソーシャルネットワークというプラットフォームの存在があってのことのなのかもしれない。そうした基盤の上で、文化的にシェアしあうことでお互いが好きなやり方を広めたい、という辺りが原動力なのかもしれない。

このようなお互いが持つ形式知を惜しみなく与える文化は、なぜ、今でも大きなポーションを占めている従来型のビジネスでは見かけないのだろうか。あまりにも、上司から言われて共有するとか、仕事だからとかでしか情報共有されなさすぎではないかと思う。そんなだからいつまで経ってもナレッジマネジメントとか情報共有基盤とかを必要とするが一向に本来の目的(自主的な情報発信)を果たさないただの通告用の掲示板程度なのだろう。

まあ、従来型のビジネスの占める面積はだだっ広く、ただ、広すぎて実は情報発信しているにも関わらず、目視できないだけなのかもしれない。埋もれてしまっている、というやつである。

そのアジャイル界隈も5年前くらいから組織論に走ったり、比較対象がシステム開発手法から米国になって3周遅れているとか向こうは進んでいるとか見かけることがあるのだが、そうした比較に意味があるとは思えない。だからどうしたの、の程度でしかない。

アジャイル界隈でアジャイルを採用しているのは実現したいことにアジャイル開発の手法が一番適切だからだろう。つまり、目の前の課題を解決するのに適しているからである。であれば、外部と比較することになんの意味を持つのか、それを理解できないのである。そんなことに杞憂してもなんの課題も解決できないのだから。

まあ、総じてアジャイル開発の様々な手法は好ましいし、従来のウォーターフォールやプロジェクトマネジメントもいいものである。自分の課題解決に見合うものであれば。

なんだ、結局、好きだとしか書いていない。

 

 

まいにち食べたい“ごはんのような”シフォンケーキの本

まいにち食べたい“ごはんのような”シフォンケーキの本

 
市場のケーキ屋さん 鎌倉しふぉんのシフォンケーキ ?卵 粉 牛乳 砂糖 油+素材1つで作るシンプルな生地?

市場のケーキ屋さん 鎌倉しふぉんのシフォンケーキ ?卵 粉 牛乳 砂糖 油+素材1つで作るシンプルな生地?