OUTPUTとは知の連鎖を担うことである

多分、今所属する組織の中でOUTPUTしているの部類としてはトップかその次くらいじゃないか、と根拠もなく思っている。特に2018年はカンファレンスなどの登壇も多かったので露出の点では多分そうなのだろう。

ときどき、カンファレンスに出ているのを同僚が知るとそうした活動に関心をされるのだが、自分としてはその同僚を含め、外に出すと喜ばれるだろうコンテンツを持っているのだろうと思っているのでやろうと誘うのだが、ほぼやらない。

じゃあ、なぜやっているかという疑問を持つかもしれない。

確かに、自分はなぜやっているのだろうか。

後付けの理由はさておき、自分もこれまでいくつもの勉強会やカンファレンスに足を運び、気づきをもらってきた。その気づきはもちろん、現場で必要だったから自分から取りに行き、現場に持ち帰り試行錯誤しながら当てはめ、テーラリングを行うことで適用して現場の問題を乗り越えてきた。勉強会やカンファレンスの登壇者にはビールの1杯でも奢りたい感謝の気持ちでいっぱいである。

その気持ちをフィードバックできればいいのだが、気づきを現場で活かすまでの時間があり、ズレが生じる。そのうち、どこで気づいたかもあやふやになる。ただ、現場の問題は解決している。

現場の問題が解決したのだからいいじゃないかと思うかもしれないが、感謝の気持ちはどこへ行けばいいのだろうか。感謝の気持ちを知ったとしても、伝える先がわからないのだから間抜けな話ではある。

自分でできることは何か。

もしかすると、自分の経験を形式知として共有することで何処かの誰かが自分と同じように気づきを得られて、現場の問題を解決できるかもしれない。

エンジニアを10年もやっていればそれ相応に経験を積んでいる。各自の中で経験知が温められている。そうした知は知っている人だけが使える。各々が持っている知を自分だけで使えば、その人の仕事はそれなりに結果を出すことができるだろう。

でも、その人だけしか使わないのだから、価値はその人が仕事をうまくできるということだけの価値しか産まない。もし、その人が持ち合わせている経験知を誰かに伝え、気づきを得た誰かが問題を解決できると新しい価値を産む。

それをやろうと思ったのである。

まあ、やってから書いているのでこれも後付けの理由なのだろう。

日々書きたいことを書く環境を持てるということは何と素晴らしいことだと思う。さて、こんな理由でOUTPUTしているので、聞いてみたいこと、相談してみたいことがあったらブコメか、ツイッターか、質問箱で気軽に聞いてみてほしい。経験していることなら答えられるかもしれない。