意識高い系でアウトプットを伴っているエンジニアが住んでいる世界

『何を言っているんですか。あなたも意識高い系具側ですよ』
『エェェェェ⁉︎』

 

不本意である。いや、自分が意識高い系だとは思っていなかったので、不意をつかれたというか、そういうことである。

とあるメディアの役員と数人の知り合いと会話をしてたときのことだ。エンジニアの成長や、育成などにテーマを移したあと、よくカンファレンスやセミナー(勉強会など)に行きますよね、という。自分と他の人を比べれば、行かない方であるという自負はある。

ソーシャルネットワークのログに流れてくる書き込みを見ているとそうしたイベントに参加したから、そうしたイベントを開催しているから来いとか入ってくる。それを自宅で眺め、やりたいことをやっている。そうした行動を自負しているものだから、ということもある。今思えば、同席していた方で自己研鑽でそうしたイベントに参加している方が多かったので十把一絡げで言われたのだろう。

そういうことにしておこう。

同席されていた方々の名誉のために擁護すると、その方々はとても仕事ができる。一緒に仕事をした経験はないが、これまで数々の会話で知り得たことや分けていただいた知見やカミソリのような鋭いコメントを思い出せばできるエンジニアだと言い切れる。それだけに、一緒に仕事をするとしんどそうだが、さらに深い学びを得られるのだろう。そのような期待もないわけではない。

いま今その役員の方の発言を考えるに、そういった場で持ち合わせている考えや経験のフィードバックをしていることを見ているからその場にいた方々を『意識高い系』と称されたのだろう。

そうすると『意識高い系』には2つの用法があることになる。1つは認知されている痛い系の方である。

www.weblio.jp

もう1つは、意識高い系でありつつもアウトプットを伴っているケースである。これまで出てきている面々は後者である。この後者の面々は同じ自分と同じ反応をしていたので全く『意識高い系』であるという自己に対する認知を持ち合わせていない。

別の機会にその方々と話をしていて、件の『意識高い系』を思い出し、なぜ、君たちは自分から出て行き、知見を惜しみなくアウトプットするのかを訊ねた。まあ、自分に問いかければ良いのだがそれでは違いを知ることはないから面白くない。

その中で一つ印象に残っている答えがあった。

『日々の仕事で色々ある。試行錯誤するしかない。課題を解決したいからヒントを探している。ヒントはそのまま使えないからまた試行錯誤する。そうした中で「上手くいって且つ楽しい」と思えるときがある。それを共有したいだけだ』

そうなのだ。『やったね!』と『楽しー!』なのだ。それを『これ知ってる?』なのだ。メタ的には(メタの用法の正しさに自信なし)、意識高い系でアウトプットを伴っているエンジニアが住んでいるのは『けもフレ』の世界なのである。