作業の粒度とメンバの主体性

プロジェクトマネージャでもマネージャでも良いのだが、そのロールに就いた途端、担当するプロジェクト若しくは事業の範囲でコミットする(無条件で期限までの成果を求められる)ので、納期にデリバリしたいという欲求に駆られる。

そうした事象は、プロジェクトマネージャが事細かく進捗を聞いて回るとか、マネージャがミーティングで細々と指示をして回ると言う形で現れる。

逆に見れば、プロジェクトマネージャやマネージャが事細かくエンジニアの作業に口を出してきたり指図したり進捗にあれこれと言っていると言うことは、プロジェクトマネージャやマネージャが相当のプレッシャーを感じていると言うことでもある。

敢えて好意的にプロジェクトマネージャやマネージャを見れば、一生懸命やっていると表現することもできるだろう。

エンジニアからすれば迷惑千万なPMやマネージャは自分ドブリンで仕事を渡すから、作業を森の粒度で渡しておいて枝葉のレベルで口を出してくる。エンジニアは森の粒度で渡されたら自分の経験をベースに森を林や木の粒度に好き勝手に分け始める。その分け方、分けるペース、どの粒度で仕事をするかもエンジニア次第になる。

その状態で枝葉のレベルで口を出されてもエンジニアは準備をしていないから対応できない。PMやマネージャは森の粒度で渡しているにも関わらず、エンジニアに対して不信感を勝手に増殖させる。結果的に枝葉のレベルで口を出し続け、指示をしまくる。

こうなってしまうとメンバの作業に対する主体性は根こそぎ削られる。主体性がなくなるまで削って削られる。そして終いには主体性のないエンジニアの出来上がりである。

中堅エンジニアくらいの経験を持っていれば、1回や2回くらいの経験を持っているのではないだろうか。

SIerのエンジニアであれば、多重請負でのプライムコントラクターや顧客から枝葉レベルで介入され振り回された経験をしているかもしれない。

作業の粒度において、木や枝葉のレベルでの作業をすることはデメリットになるのかと言えば、道具は使いようとしか言えない。

作業の粒度を小さくするのはその単位で作業の進捗を把握する要件を持っているからである。掌握しなければならない(なぜ受け身の文で書いているかその理由は想像つくと思う)要件を制約があるからである。把握する必要がなければする必要はない。

プロジェクトのリリースを高速で回そうとすれば、リリースする機能は小さくなるから作業も小さくなる。作業の粒度は枝葉かもしれないし、そのくらいの単位でしかリリースできない。

それはそうなってもいいからリリースを早くする要件を持っているからだ。

作業の粒度は、PMやマネージャの身勝手で小さくなることもあるしプロジェクトなどのリリースの要件からそう対応するケースもある。

前者のメンバは主体性をゼロになるまで削られる。一方、後者は主体的でなければ継続したリリース(デプロイ)は続かない。つまり、作業の粒度は枝葉のように小さくするとゼロにすることもできるし、メンバの主体性を維持・向上することもできる。

なので『使いよう』なのである。

決定的な違いは作業の粒度に関わらず『メンバ自身による主体性を発揮できる裁量を持ち続けることができるかどうか』である。

そう言われると心当たりがあると思うのだが。

あなたのPMやマネージャは主体性を発揮できる裁量を渡してくれているか。

PMやマネージャであるあなたは、メンバに主体性を発揮できる裁量を渡しているか。

 

 

 

 

 

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