幸せになるための仕事の中身

自分にとっての幸せは何かと聞かれたら、しばらく考え込んでから『家族と暮らすこと』と答えるだろう。最初には自分1人での幸せは何だろうと考え、ようやく、今の居場所に何があるかを思い出す。

自分1人の幸せを自分に投げかけても、何か具体的なコレというものは思い浮かばない。本を読むことで満足することもあるし、アニメを見て関心することもある。食べたいものを美味しく食べることで『想像した様に美味しかった』と思うこともある。ただ、それが幸せかと言われれば、そういったことを実現できている環境自体が幸せなことだとは思うが、自分の幸せとは違う。

目の前のダイニングテーブルに座っている子どもや和室で何かをしているワイフが好きな場所で、それぞれが好きなことをやる事ができる場に自分もいることが幸せなのかもしれない。

残念ながら、金の生る木も持っていないし油田も持っていないので働かなければならないので、仕事でお金を稼がないといけない。たまたま、中学のときにコンピュータという存在を知り、そっちに関心を持ち続けた結果、その業界で働く職を得ることができた。しばらくの間、1人だったけれど縁あって家族を持てた。

お家により様々な家族があるのだろうけれど、自分は自分の家族の居場所にいるのがいい。その幸せのためには、仕事をして、お金を稼がなくてはいいけない。

では、仕事をするとはどう仕事をしたいかと考える。人に使われて、あれこれ指示をされて、指示どおりにやることでお金をもらえる仕事は世の中にたくさんある。

でも、どうやら自分は人にあれこれ指示されて言われたとおりにやる仕事は好ましいと思っていない様だ。

自分の実践知と形式知を持って、困ってる人の課題解決のアイデアを出したり、代わりに課題を解決したり、やってみると良さそうなことを自分で初めてしまう方が好きらしい。

だから、ゆっくりではあるが、自分の関心を向けられることの知識を手に入れ、自分を実験台に試してみて、自分の目的に合わせて使える様にしまっておく。大抵のことは、割とすぐに必要な場面だと思って手を付けるが、ときどき、今すぐ必要にならないだろうと思ったこともやってみたりする。意外とこうした関心事の方が役に立つことが多いのは不思議だ。

何か1つ、そうしたことで課題を解決すると次は、と考える。で、どこかで自分を実験台にやってみる。思う様な結果を得られなくても構わない。また次を手を出す。こう続けることで、知ること、使ってみて実践知から刺激を受ける。こういったループに入ると苦にならない。

こういったことの集合体が自分であり、この集合体の持つ知で仕事をする。年齢を加算すると単純な仕事は減っていくが、代わりに複雑な仕事が舞い込んでくる。前もやってもらえたから次もやって欲しい。この分野は得意ですよね、ではこれも。

仕事で認められることが増えると複雑度が増す。それを持っている知の集合体で解す。ぎゅっと無理にひっぱても解けないから、知を使って構造を理解する。シンプルに。

バラしてバラしてそれをチャンクにまとめ直す。ToBeを形づくり、欲しいものだろうものを作り上げる。外れることが多いが、欲しいものがこれかを聞くので外れているとわかる。

そういう仕事をするとお金をもらえて、家族と一緒にいられる。

自分の幸せのために、知の関心を向けられるものを手に入れ続けることをし続ける。その意味では、それが仕事なのかもしれない。

 

 

テイコウペンギン (KCデラックス)

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