意見が合わないとき、普通は反論するよね

エンジニアは割と議論をする仕事だと感じる。感じるというよりは、日に何度も議論をしている場面を見かける。先日もランチを食べながら2人のエンジニアがランチ前にヒヤリングを掛けていた製品の評価をしている。A氏は現場に展開しても使えないだろうと感想を述べる。B氏は広く業務をカバーするだろう、可能性は高いと見立てている。

A氏とB氏、この2人はチームでの経験の差があり、情報量が違う。もちろん、経験もそれぞれのエンジニアとしての生い立ちは違うのであるが、B氏の方が技術力は高い。こうした関係性は双方とも理解していて、その上で考えを話せる関係なのはとてもいい。

全てにおいてB氏が決めていてしまっては、それは健全ではないし、A氏の持っている知見はB氏にはないものなのである。

これまで観察している感想は、B氏の方の意見で納まる感がある。B氏の意見を聞くたびに、A氏はご自分の意見が通らずに、ご不満のニュアンスが語尾に滲む。ただ、話を側から聞いていると、思考的に全体を踏まえて考えているのはB氏であるし、A氏の意見はふんわりとしすぎているし、ユースケースが足らないままで感じることを話しているように見える。B氏からのツッコミでターンを返しきれない。

そうしたことはさておき、意見を話し、似たようなことを考えていれば同意するだろうし、考え方や得られる結果が違えば議論になるだろう。

そうしたとき、無意識に自分の意見を守ろうとしていないだろうか。まあ、ほとんどのトリアクションは自分の意見を守ろうとする行動にでる。

例えば、3時間掛けて作った資料をザクっと見てもらって説明すると何点か考えの違うコメントをもらう。自分には地頭がないので指摘をもらうこともままあるが、だからと言って、言われたままには修正しない。その指摘に至る思考を説明してもらう。ああなるほど、それは合理的だとか、MECEだとか、考慮漏れだったとか、その場で理解できる。その上で指摘を修正するかを判断する。

こうした議論の上で、考えの導き方を(タダで)知る機会だと思う。

もちろん、逆のケースもある。違いは、ここだね。では、その意見だとカバーされない範囲はどう始末するのか、とか。そうした議論をするとお互いに考えが抜けていることがわかることもある。

こうしたときが一番嬉しい。お互いに気づかなかったことを一緒に気づけるからである。

まあ、議論が平行線をたどるなら、並べて、評価観点でお互いの抜け漏れを眺めてから、次を考えればいい。だいたい、これをやらないので議論が感情に流れてしまうのだが。