ぬるま湯は能力が弛緩する

打ち合わせをしていて、打ち合わせのテーマをどう実現するかを聞いても、ほんわかした説明しかないとダメなコンサルかSIerの営業の提案を聞かされている気分になる。

どういうことかというと、あるテーマについてそのテーマをやったぜと言えるdoneの定義を聞いても、こうやるよというロジックもゴールのディテールも説明できないないのだ。

ゴールの成果物設定から逆構成するわけでもないし、ゴールは仮で仮説検証してゴールを実現するアプローチでもない。どちらのアプローチをとったとしても、こうやるから実現できると考えているという自分で信じている軸があるものだと思うのだが、それがない。

それがないから、ゴールの設定が設定する期間に対して壮大すぎる。ちょっとオーバーなレベルを超えている。

ゴールに対する実現性を疑ってないから、こちらの感じる違和感はいくら説明しても伝わらないし、お互いに同じ土俵に立てていないこと自体理解できていない。

だから、どういう考えで実現するのかを繰り返し尋ねてもいっこうにほんわかしたままだし、ゴールのスペックをスペシフィックにしようと質問してもほんわかしたゴールの説明を繰り返すばかりだ。

その説明をずっと繰り返している。

そのテーマを取り上げて自分のタスクとスワップして、自分のタスクは指示してやれば設定する期限にMVP的な最小限の価値は得られるだろう。任せて、突き放して中堅エンジニアのコンピテンシを自覚させる方法もある。ある意味、突き放して自分の実力と対面させるのだ。

でも、前者はそれではそのエンジニアは成長しないし、後者も潰れてしまうかもしれない。

中堅のエンジニアが目の前で困惑しているのはとてもつらい。

エンジニアはエンジニアの人生を意味あるものにするために次の方法を実践し続けたい。

・時間の使い方を将来の自分に少し割り当てる

・会う人を変える

・自分の持っていない能力を持つ人たちのいる場に赴く

同じ環境は居心地がいい。でも、それでは知らないことにぶち当たったとき、思考が止まる。思考を止めない、停止させない機会づくりが必要だ。

居心地の良い場所からすこしはみ出る。はみ出たら興味を持てる人に会う。優秀な人の場に出向いて会話に混ざり、自分の考えとの違いを知る。

違いを理解して、共通の土俵に立ち、会話を始められないと主体性を持つことさえ難しい。