子どもを追いつめるお母さんの口癖 (らいふあっぷ・せれくしょん)は、大人に向かって言っても大人を追い詰める

子どもを追いつめるお母さんの口癖 (らいふあっぷ・せれくしょん)
もちろん、子持ちの親として自分が子らに接してきたことの振り返りとこれからの言動のアドバイスになればと思って読んだのだけれど、ついつい、職場でも活用できるようなことが書かれているのではないかと思って4つの目で読んでしまう。
大人だって、成熟の仕方は十人十色なわけで、こちらが200%までは言わないけれど120%くらいの成果を常々期待して仕事を任せるのだが、期待とおりにことが進まない(良くて70%)。もちろん、期待とおりに成果が出るくらいなら、中間管理職は不要になるならそれならそれでかまわないのだけれど、現実の世界はそうは行かない。

子供も大人も人であるということは一緒で、詰まるところ、同じ目標を持っていることを共有して、その気にさせ、過程を一緒に確認して成果を出させ、チェックポイントで期待とおりの成果が出ていなければ、振り返りをして最終ゴールを目指す、このルーティンを繰り返すのだ。そう、鬼籍に入るまで。

この本で、共感したことは巻末の「やめたい癖をやめられる“おまじない”集」。
数が多くないので、列挙しよう。

「私は、自分の喜びのために生きている」
「私は、自分に必要なことには、ちゃんとお金を使う」
「棚からボタモチ、けっこう、けっこう」
「深呼吸、スー、ハーッ」
「大丈夫。うん、大丈夫」
「あなたはいい子ね」

職場に当てはめて考えよう。
「私は、自分の喜びのために生きている」は、そりゃそうだよな〜、仕事はお金を稼ぐ場であるけれど、つまらなく仕事をするより、楽しんだほうがストレスも溜まらず、端からみたらすごく生産的で活気があるように見えるだろう。なにより、本人が楽しんで喜んで仕事をするのだから、職場が楽しくなることこの上ないだろう。

「私は、自分に必要なことには、ちゃんとお金を使う」は、企業の立場と従業員の立場の2つの視点があって、それぞれの立場は違うのだけれど、従業員の価値を高めるという観点では、同じように自己に投資をすることを意味する。企業は組織として成果を出すために従業員に対して成果に見合う投資をして、従業員の成熟度の向上を狙う。従業員は、従業員同士の中の競争を勝ち抜くため、つまり自己の成果をより多く出して評価を受けるために、報酬の中からそれぞれ将来に期待する価値に相当する自己研鑽のための投資をする。従業員の自己への投資は、企業が期待していることへ速攻の効果の出ることに投資するとは限らない。そのときに関心を持っていることは、直接業務に関連していないようでも、将来そのキャリアで必要な職位のスキルを涵養することになるかもしれないし、無駄な投資かもしれない。いずれにしても、必要な自己投資をしない大人は、なにか他の手立てで自己の価値を高めなければならない。

「棚からボタモチ、けっこう、けっこう」って、前に「人生楽ばかり〜」と水戸黄門のOPのメロディに合わせて歌っていた人がいたけれど、ああ、これだなぁと思った。直接関係のないように思えるけれど、こう思う前に、常日頃から、何かトラブルに巻き込まれたり、初めて体験する仕事を任されたり、へこむようなことがあったとしても、一つひとつ解きほぐして、片付ける、そう、一つひとつのダンジョンをクリアして最後にボスキャラを倒すようなゲーム感覚を持って対処することを積み重ねると、何一つ苦労ではなくなるだろう。そう一つのパターンができると自己の自信になり、余裕が生まれるので、寛容になることができる。そうなると、煩わしいこと、思ってもみないうれしいことの何が起きても、結構、結構となるわけだ。

「深呼吸、スー、ハーッ」、そうは言っても、しんどいこと=歯ごたえがあることもあるので、一呼吸おいて、全体を鳥瞰するようにすると、新たな発見があって、意外と簡単にかたが付く糸口を見つけられる。

「大丈夫。うん、大丈夫」そう、大丈夫。だって、自己で課題を解決できるパターンができているし、それで対処できなくても、そのパターンを作ることができたのだから、亜流でも、別物でも新たなパターンを作ればいいと思えるから。

「あなたはいい子ね」これは、大切なことで、人を信用するしないとは別の次元で、嫌いではないという立ち位置で人を見るということ。嫌いでなければ、なんでもできるので。