母の死顔と

誰と言わず、身内の人の死は、突然だと心が消化するまで受け入れにくいものなのだろうと思うが、割りと前から病気がちだとか良い歳だったりすると受け入れられたりする。

今回は、後者だったからか、薄情だからか、涙の一つも流さず顔を覗き込む自分がいた。


それでも、少しは感傷的な気持ちになろうとしたのか、顔の布を取り、髪を撫でてみたときに出た言葉、「悪かったなぁ」の一言だけだった。


まだ、少しは元気なときに、自分の死への価値感を一方的に話し、それ以上はしないことも漏らした。大方、似たような考えだったのか、それとも、去年の大震災で親戚を失ったり、死後の施しは無駄だと悟っていたからかは、今はもうわからない。


大体、親くらいの年長者の死の場には、小さい子供たちがつきもので、この子達は、これから今より少ない人数で少なくない年長者を見送らないといけないのかと思うと不備でならない。
少なくとも、好ましい気持ちを持って見送れるような関係であって欲しいと願った。


皆が席を外したときに、死顔の写真をそっと撮って呟く。
「ありがとう」