エンジニアは、ゼネラリスト、スペシャリストのどれを目指せばよいのか


そう言えばゼネラリストがもてはやされた時期がありました
ゼネラリスト、スペシャリスト、プロフェッショナル。この中で、一つだけ仲間はずれがいるけれどわかるだろうか。
そう、仲間はずれは“ゼネラリスト”。
スペシャリストとプロフェッショナルは、キャリアパスにおいて体系立っているがゼネラリストという職種はない。
ゼネラリストというキーワードは、そ定期的に出てくるバスワード的なものだと思っている。
その“ゼネラリスト”という言葉で、少し昔を思い出すように記憶をさかのぼれば、ゼネラリストを求める人材像としてエンジニアの目を惹いていたこともあったような気がする。

景気が良くなれば人を纏める人材不足の都合から“ゼネラリスト”を要求し、景気が低迷し続ければ、“ゼネラリスト”を抱えてられないからスペシャリストに任せコストカットに走る組織のご都合主義が見え隠れしれいるような気がしてならない。
今はこの称号のエンジニアが必要だ、というような記事を見るたびに、いまどきそんなブラフに

「踊らされる人なんていないだろう?」

と思いながら冷めた目でしか見ることが出来ない。
エンジニアに関わらず、不景気なら手に職を、景気が上向けば楽な仕事をという風潮は今に限ったことではないので、だからどうした?もともとゼネラリストなんていないんだよ、と思うのだがどうだろうか。


ゼネラリストはファシリテーションコンピテンシを持つスペシャリストであるべき
それでもなお、ゼネラリストを必要とするなら、ゼネラリストは、専門家としての技術領域の軸を持った上で、ファシリテーションのコンピテンシを持つことを意識したほうが良い。専門軸の上にファシリテーションといコンピテンシをラップすることで、何を軸で考え、何を自分以外の専門家に頼るかぶれないからだ。そのしっかりした考えの下でファシリテーションのコンピテンシを発揮すれば目標を達成するために、何をすればよいか、リードすることのハードルは高くない。
でも、それは結局ファシリテーションコンピテンシの高いスペシャリストでしかない。


スペシャリストなら安心か
ゼネラリストは幻想で、スペシャリストだよ、と言えば、早合点して、
「じゃあ、スペシャリストになる!」
というエンジニアもやっぱりいるものだ。
#言うだけマシなのかもしれない。自分の頭で自分の将来をこれっぽちも考えていないように見えるエンジニアも少なからずいるのだから。

なら、スペシャリストならこの先も安心してその職で食べていけるのだろうか。どうだろう。そんなことを考えたりしたことがあるだろうか。スペシャリストなのだから、エンジニアに当てはめれば、例えばWebアプリサービスとかミドルウェアとかインフラ基盤とかそういった特定の領域の技術に長けている専門家として位置づけてよいのか。悪い言葉で言い換えれば、専門馬鹿で良いかということだ。浅はかな考えしか回らない、この手のブラフに引っかかってしまうエンジニアが存在するとすれば、
「じゃあこの分野でがんばります」
とか言いかねない。ワタシのチームでないなら、
「そうですか、頑張ってくださいね。」
と優しく応えておくだけだ。この手の回答をするようなエンジニアは、その後にどれだけ専門家として成長をしたかそれとなく聞いてみると想像したように『当時のまま』の技術レベルで滞留していることが多い。それは自らそのポジションを上がろうとしないし、自分の経験を意識的に広げ、深堀するための機会を設けようとしないことからもわかる。


真に求める姿は
世の中が求めているのは、継続的に成長するエンジニアであって、特定の呼称の上に寝ているエンジニアではない。Webアプリを技術の軸とするエンジニアであっても、よりプロジェクトについて知ろうとしたり、システム開発プロセスを軽量化するためにプロセスの真意を探求し、本質をみて自動化できるものを自動化したり、コストに見合わないものは、人手で“自働化”することを考える。勿論、軸であるWebアプリ開発など、自分に必要なテクノロジーについてもより洗練したり、幅を広げるようなことをon/off問わず気にかけ、実行するエンジニアだ。






  • 道具室(アプリとか)
  • 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)



  • 視聴覚室
  • 調達室

昨日からはじまったバトルスピリッツの新シリーズの構築済みデッキですね。うちの子は、百夜王ヤイバデッキがお好みだそうで。