自らの手で標準作業を書いて学ぶこと


どっちかと言うとネガティブな印象だった
昨日から、トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざしてを読み始めてる。この本は、最近よく目に入るのは、アジャイルの勉強会などでチラチラと見かけるから。だから、気になっていた。

トヨタ車に乗ったのは、学生の頃、下取りの中古車を安く譲ってもらったのが“たまたま”トヨタ車だった。結構走ったと思うんだ。2年くらい乗ったかな。かなり古い中古だったから、タバコのヤニやら年月やらでそれなりにくたびれていたけど。たった一つ、フィーリングが合わなかったのはシフトレバーが長かったこと。あれは操作しにくい。それ以外は、初めて所有した車だったから、それこそ毎日乗っていた。

あの頃はまだ、車には輝きがあった、そんな時代。カーグラフィックもテレビ版があって、今のようにローカル放送ではなく、テレ朝だった。カーグラもずいぶん買った。そうやって、だんだん耳年増になっていく。少ない実体験、と耳からの知識を補完するようにときどき誰かのトヨタ車に乗せてもらう。そう変わらないシフトレバーの長さと変わっていく脚踏み式パーキングブレーキの違和感。脚踏み式パーキングブレーキは日産にもあったけど。トヨタ車は変わらないんだ、と。

どっちかと言うとネガティブな印象しかなった。


ちょっと考え方を改めようと思った
トヨタ生産方式を読み始めて、考え方を改めようと思った。まだ、80ページまでしか読んでいないけれど、アジャイル、リーン開発に興味があるなら、どちらの知識を取り入れるか順序は問わないが、このトヨタ生産方式は読まなければ。いや、読むと、なぜ、アジャイルでアレをそう言っているかが“繋がる”のだ。

「あぁ、そう言うことなのか。」


ならば、自分の考え方を改めなければなるまい。


共感する言葉
第二章の目次を見るだけでも、うお!と共感する。

無駄の徹底分析
私の現場主義
チームワークこそすべて

ワタシの今までの経験、とくにアジャイルとの出会いから響く言葉がたくさんある。それはそうだ、アジャイルトヨタ生産方式から学んでいることが多い。それは、自分に響くわけだ。

マネージャ業務には、定型、非定型にかかわらず、所謂、事務処理が多い。特に、月末処理などの定型処理で煩雑な作業は「なんとか自働化できないの?」と思ってしまう。意外と、紺屋の白袴的なところが多いものだ。

自働化されていれば、この作業はいらないのに。」
「このデータは、あれが使えるじゃん?」


だから人手が掛かる。それは、作業のムラであって、ムダなのだ。一番高いコストは人件費なのだから、思考したり判断が入らないものは、機械に任せよう。段取りで人手が掛かるなら、その段取りを見直しした方が良い。事務作業は大体本社組織が担うものだ。そして、組織全員の振る舞いに影響する。
だから、本社組織は頭の良い人たちが必要になるハズだ。


自らの手で標準作業を書いてみよ
目次の中に“自らの手で標準作業を書いてみよ”と言うものがある。たまたま、昔の経験で大規模プロジェクトで標準化をしていたことがあった。数人で作る標準化作業の文書が何百人ものシステムエンジニアが参照し、それに沿って業務をする。気軽にやろうとしていると見えたのだろうか、当時のマネージャからプレッシャーがかかる。


「何百人も君がつくる文書で動くんだ。」


それは、こう解釈した。

“1日無駄になったら、何人月の損失になるのかわかっている?”


いや、まいった。それまでそんなプレッシャのある仕事していなかったから。それもドキュメントひとつで。何かムダを作り込むと何百人のエンジニアの仕事がパーになる。

ワタシが予てから“システムエンジニアは業務設計ができなければダメだ”と言うのは、ここに由来している。貴方がSEリーダやプロジェクトマネージャになったときチームの業務を決めるのは貴方自身だから、貴方が決める業務がヘタレだったらチームは何も生産せずに一日を終える。出来高ゼロだ。今日の出来高はない。明日はどうして上手くいくか。そんなに易しくはない。

ワタシは偶然巡ってきた標準化の仕事について大変だったけれど、貴重で代えがたいと思う。だから、“自らの手で標準作業を書いてみよ”という言葉に響くのだ。

そして、今まで“何となく嫌いだったなものが好きになる瞬間”を昨日迎えた。