人の意見を聴くことと受け入れることは違う

歳を取ると経験からか、年齢からか、役割からか、そのいづれかで他人が意見をしてくれなくなるものです。幸いなことに、仕事では、まだありがたいことに、いろいろ教えていただけています。
どんなに頑張っていても、つい自分の目線で物事を考えることが多くなってしまうから、仕方がないと言えば仕方がないのですけど。それでも、ものごとを考えるには立場場を変えて考えた方が良いことは多くて、自分の目線でしか見ていないと、つい見落としがちになってしまうことも、同僚など、他の人から見れば当然と思えること伝えてもらえることはうれしいことです。


他人の意見を聴く力
組織間の合同会議のようなものがあって、その会議体の主催は相手方なのですが、初めて出席したときに、いつの間にか喧嘩腰になっていて、「なんでこうなってるの???」とびっくりしたことがあります。定期的に開かれるその合同会議は、やっぱりいつも同じように喧嘩腰モードに突入して、適当に誰彼が着地点を探し、適当に継続審議の宿題を確認して解散!で終わりに。

必須の参加メンバなので、他に優先事項がなければ都度出席しているのですが、いつもいつもそういった展開になるので暇なわけです。会議としてとても、“非生産的”です。なんでかな?と思って、何回目かの会議でじっとその会議のファシリテータの人を観察していたら、「あぁ、なるほどなぁ」と気づいたわけです。


会議が目的地にたどり着けない
合同会議は、その会議の主催側からの連絡と個別案件の事前協議の2点を目的として開きます。主催者側からの連絡は、連絡ですがら主催者側から“一方通行”で連絡事項を説明し、必要に応じて質疑応答してお仕舞です。

問題があるのは、もう一つの事前協議です。このテーマになったとき、会議が会議じゃなくなるのです。会議が会議の体をなさなくなるのはファシリテータの人のファシリテーション力に依存するものです。勿論、参加する参加者の協力も必要になるのですが、その会議では、主催者側の参加者も、召集される側の参加者も積極的に議論する姿勢を見せており、会議の議題毎に実現可能な方向に合わせていこうとする姿勢が強くみられるので、参加者側に会議を混乱させようとする悪意は見られません。

事前協議のファシリテーションで何が問題か、それは、言葉のとおり“事前協議”なのだから、テーマに沿った自由なディスカッションして、たどり着きたいところに着地するように少しづつ誘導すればいいのですが、連絡事項と同じように、ファシリテータからの押し付ける様のまま、一方的に言葉が放たれてるからではないか、と思うわけです。

事前協議として話をはじめても、話し手は押し付けたように言葉を発し、聞き手から出るコメントはきちんと受け止めない。これでは協力してディスカッションを進めようとしてもつまらないことでスタックしてしまうものです。


人の意見を聴くことと受け入れることは違う
当のファシリテータは、その場の振る舞いを見ていると、目の前に見えない壁を作っているようにしか思えません。「事前協議の体をしているがこの考えで行くから同意しろ。」と言っているのと変わりません。これでは纏まる話もまとまらない。

多分、このファシリテータは、人の意見を聴いてしまったら、すべて受け入れ、それを実行しなけばならないと思っているのではないだろうか。そんな風に思えます。会議のテーマからも、他の会議であっても、意見照会をしているのだから、そこにでたすべてのコメントを受けれいるなんて考えるのはナンセンスです。様々な意見を出し合い、合意形成していくことが会議の意図であるのに、です。


人の意見を聞くことを恐れる
例の会議のファシリテータはもう一つ、人の意見を聴くことを恐れているのではないか、と、ふと思いついたデス。人の意見を聞き取れるのかどうか、自分で理解できて、それをあとあと巻き取ることができるか、ということを。

壁を作って話し、人の意見を積極的に聴かない本当の理由が、そこにあるのかもしれません。だから、他人が意見を言うと、それがあたかも自分を責めているように思え、会議に出席している参加者から批判されているように聞こえるのではないか、と。


何を受け止め、何を捨てるかで考える
当たり前のことですが、人からの意見は、それを聞いたらすべてを受け止め、実行しなければならない、というモノではありません。その意見だって、意見を話す側の思い込み、勘違いだってあるわけだし、すべて正しいわけではありません。

その場が断続的にも継続するなら、その場でなくても構いませんが、必要なポイントで話す人の意見がわからなければ、確認し、自分の意見と合わなければどのように扱うかそれこそ協議すればよいのです。

それは話し手が役員であっても同じですし、年下でも同じです。立場の違いがあって、相手の意向を汲まなければならない場合、そのバイアスはかかりますがファシリテーション自体が変わるモノではありません。

最終的に、何を受け止め何を受け入れるかのさじ加減をどうコントロールするか、にかかってきます。それは、会議のテーマの特性に依存するので、参加者からの意見はありがたく頂戴し、そのテーマのゴールと照らし合わせて判断すれば良いのです。