視野が狭いエンジニアは自ら足を掬う


エンジニアが仕事上で得られる楽しみってなんだろう。今の若いエンジニアを見ていると、ワタシが社会人になったところより多くの技術を覚え、使いこなし、それも速くアウトプットすることを求められていると感じています。いや、若いエンジニアは、社会人になるためのクエスト自体がワタシの頃と技術の広さと複雑さが違い過ぎて、比較すること自体意味がないのかもしれません。
だた、いつの時代でもエンジニアが得る楽しみはあると思うのでそれについて考えてみたわけです。


エンジニアの楽しみ
“仕事上の”という断りがつくので、その線上でのエンジニアの楽しみは何だろうか?と。社畜云々言う前に日々の糧を得るためには社会人として月棒分はなんらかしなくちゃそこに居られないので何で対価とトレードするか。
#まぁ、仕事しかないわけですが。

その仕事も企業の責任を追う仕事としては、これまで経験しようがないから、初めて、なわけです。初めてだから、一から覚える。
それこそ一つひとつ。

システム開発なら、設計のやり方やプログラミングの作法や手順を覚えながら。最初から上手く行くはずもないのは、こうやったら上手くできるというやり方を自分の中で持っていないから仕方がないことで、試行錯誤や作法や手順にそって自分の仕事のやり方を検証しながら覚えていくわけです。

“覚えていく”という言葉がいいですね。人は覚えること、つまり何か物事を知っていることにうれしさを得るものです。覚えているから周りの人から褒められる、覚えているから必要とされる、というように。

仕事は、人生の大半を費やします。仕事をする場所が変わっていったとしても、裕福層でもなければリタイヤするまでは続けるほかありません。

やはり、エンジニアであるからこそ、迷い、躓きながらも技術を覚えるということこそ、“エンジニアの楽しみ”なのではないかと思っています。


予測だけでは
とは言っても、今の広く、複雑な技術領域を一つひとつ覚えていくことは果てしないことには違いありません。様々なエンジニアは夫々の担当する業務により、まったく同じ技術を取り扱っているということは多くないでしょう。

そうは言っても、一つひとつの技術自体は多くの人が扱っていることに違いはありません。ただ、その一つひとつの技術を顧客の業務と組み合わせたとき、それは唯一のものになり、その環境下では、その技術を適用する上で発生する課題はそれこそ地道に検証し、試行錯誤して解決するしかありません。

それは、その課題によっては胃が痛くなるような過酷な課題かもしれません。過酷な課題が目の前に現れたとき、人は最悪を予測して何もしないか、或いは、必要な行動に移るという二極に分かれるものです。

エンジニアとして辛い課題であっても必要な行動を取り続けるのであれば、その過酷な課題も何かをキッカケにしてブレークスルーするものです。いつまで経っても過酷な課題のままの状態のままなわけではありません。

何のキッカケでブレークスルーすると、あの過酷な課題が動き出すので当事者のエンジニアは楽しくて仕方がなくなります。これは、予測ばかりで何も行動しないエンジニアには訪れることはありません。


勝手にフィールドを決め付けない
試行錯誤しながら仕事を覚えると、エンジニア自身が自ら見える範囲が広くなります。人に任せず、自分でやるのでリードタイムもありません。自分で考え自分で動くことでフットワークも軽くなります。

自分で動くことで、自分で自分を鍛え、育てていく良い循環に入ります。ただ、すべてを自分でこなすことは広く複雑な技術を適用する現在では、一から十までを一人で、はありえないことも確かです。

ただ、それで縦割りにし過ぎて、自分が覚える技術の領域を狭めすぎてもいけません。技術の領域は狭ければ狭い程、その狭い技術領域のレベルが中途半端であれば、それはエンジニアの視野を狭くしてしまいます。何が問題の“本質”であるか、それが見えなくなるので必要な検証も見えなくなり、試行錯誤がさらに辛くなるのです。

見えていれば気がついたかもしれないブレークスルーのキッカケも、自分のフィールドを広く捉えフットーワーク良くしておかないと実は自分自身で足元を掬いかねないのです。