企業研修ではプロジェクトマネージャは育成できない


ITサービスの組織も20年を越えると定年退職者が出始めて、最前線で陣頭指揮を執るプロジェクトマネージャの世代交代に対して危機感を持つようになります。当たり前のように毎年一つずつ歳を取る訳ですから、人事が社員を年齢順に並べれば、誰が何時退職の時期となるかは明らかです。マネジメントほど、人材の重要性は理解しているので世代交代を進めるべく、次世代のプロジェクトマネージャを育成しようと上位下達されるのです。
ところが、プロジェクトマネージャなんてお湯を注いで3分でできるような代物ではないので、進捗は把握し辛く、成果も一向に上がらないものです。


人材不足とPM育成と
ITサービスのエンジニアの人材不足はかれこれずっと言われ続けているし、一向に解消する気配すらありません。もちろん、その時々の技術の潮流があって、そのときに脚光を浴びている分野が局所的に不足ことになります。
そんな中、プロジェクトマネージャは案件が取れればいつも必要になるので、顕著に取り上げられることはないですがある程度の幅を持って需要が途絶えることはありません。

その意味では、プロジェクトマネージャは組織の慢性的な疾患と同じであって、いつも必要なときに必要な人材が居らず、そのときたまたまいたエンジニアをプロジェクトマネージャに無理矢理に当てはめるためにプロジェクトが炎上することになります。

慢性疾患なのだから、それはマネジメントも理解していて、それならば、と、エンジニアの中からプロジェクトマネージャを育成する取り組みをするわけですが、それで成果が上がっているとするなら、人材が育っているならなぜ、今もこうしてプロジェクトが自ら灰になるように進撃していくのでしょうか。


人材育成は集合研修
組織が人材を育成するときに、まず用意されるのは集合研修です。座学の研修の他、最近は、ワークショップ形式が少しずつ取り入れられているようですがそれもまだまだです。
集合研修では、事前にプラクティスを集めたテキストが用意され、受講者に配られることになります。そのテキストに理論と少しばかりの事例も入っていれば良い方でしょう。文字と図、静的な情報を講師が読み、受講者が聞き流す。
ここには、受講者の積極的に話を聞き取ろうとする傾聴は見られにくいものです。なぜならば、話し手1に対して、聞き手がNになるからです。Nが大きければ大きいほど、傾聴する受講者は減るものです。人は怠けるのが本能なので、集団になった途端、いつ指されるかというストレスから解放されるためです。


集合研修の効能
とは言っても、集合研修のような静的な文字と図の育成は、組織にとって二つのメリットがあります。一つは、一か所に集めて研修ができるので経済的な効率が高いように見えるというものです。もう一つは、テキストという共通的な知識を使うので組織のエンジニアの知識のレベルをボトムから上げられるというものです。知識による底上げは、組織の足元を強くします。誰もが基礎を知っている、と言うことは、底上げしたスキル、この場合はプロジェクトマネジメントの作業品質が上がるため、得られるアウトプットの品質レベルも上がります。

ならば、そのまま育成を続けたら、困難なプロジェクトや危険なプロジェクトでも陣頭指揮をとれるプロジェクトマネージャが育てられるのではないかと思ったら、それは違うよ、と思うのです。


集合研修で充足できないスキル
集合研修はあくまでも受け身の研修です。なので、静的な知を得るためには向いているのですが、プロジェクトは受け身でやるものではありません。プロジェクトは常にプロジェクトマネージャが主体となってアクティブに行動する仕事です。自らが当事者となって、先々を読み、手を打ち駒を進める。その中には受け身だけの知識では充足できない大きなポーションを占めるスキルが必要なのです。

その能動的なスキルは、どうやっても集合研修では受講者に一律に受け付けることはできないし、その具体的な方法がない。それはプロジェクトマネージャ候補にかかっているといっても過言ではないのです。個に依存するものがある以上、その本人がその気にならなけば、たとえ集合研修で知識を詰め込んだから、あとは実践でよろしく、と送り出したとしても、移送袋に入れられて帰ってくるのが落ちです。

やっぱり、組織として次世代のプロジェクトマネージャとして白羽の矢を立ててでも育成したいなら、相当気を使って本人をその気にさせて背中を押して、恰も本人が自発的にプロジェクトマネージャになりたいんだ、と思わせない限り、組織的にプロジェクトマネージャを量産することは難しいでしょう。

言い換えれば、ジムは量産できるけれど、ガンダムは量産できないんだよ、ということです。