イライラは自分の気持ちを表現したいと言う要求に過ぎない

阿川泰子が素敵だった高校時代
学生の頃読んでいた本は、そのときに興味を持った本を、−今と比較するとほんの少しだけ−、読んでいた。高校の頃は、FM雑誌が多かったし、その頃見た阿川泰子はとても素敵でアルバムを聴く様になった。大学でもやっぱり雑誌が多くて日経トレンディとかカーグラフィックを眺めていた。小説は、佐野洋の語りが好きで、古本屋をときどき巡っていた。本屋は立ち読みでめくるくらい。選択した倫理に変に関心を持ったみたいで、前期中に本は読んでしまったような気がするが、そこでお仕舞い。

あとの時間は友達とグダグダしているか、テレビを見ているかバイトをしていたか。だからだろうか、別の理由があるからだろうか分からないけれど、悶々としていて嫌なことがあれば表現できない鬱積した気持ちを不機嫌な態度で表現していた。

#こどもだ。


社会人になったからと言って、直ぐに変わるわけではないし、実際変わらなかったけれど、随分経ってから少しずつ本を読むようになった。もちろん、技術書の類や情報処理試験のテキストだって読んだりはしたけれど、結果が付いて回ったりしなかった。


fjで言葉だけのコミュニケーションの付き合い方を知る
当時、newsgroupというのがあって、fjとか呼ばれていて、少し、書き込みもしていたけれど、ほとんど、ROM専だった。結構、見ていたかな、fj。今で言う2chみたいなもので。やっぱり、関心があるのは遊びのほうだから、仕事に関係していそうなunixc言語の類なんてほとんど近寄らなかった。


ROM専していたのは、危ないと思ったから。なぜ危ないと思ったかと言うと、今の2chのようにスレが荒れていたり、バトルをやっていたりしていたのをちょくちょく見ていたから。よく絡むコテハンも居たしね。書けば、当たり前だけれど、反応はあるし、反応があるから書き込むときに言葉を選ばなくちゃいけないと思うようになる。


言葉を選ぶことが出来ると
そうした言葉を選ぶと言うことは、自分自身の中で持ち合わせていなければ、選択することも出来ない。だから、どこであっても、自分の知らない言葉を知ると、気になるようになった。それまでは、読めないことばあがあってもちょっと気になってもスルーしていた。


知らない人とコミュニケーションを取るときに、どういった人か、どう物事を受け止めるのか、ワタシの言葉をどう理解して貰えるのか、全く分からないから、やっぱり慎重にならざる得ない。

#絡まれたら面倒だから。


語彙が語彙を呼ぶ
そうすると、本に興味を持つのね。で、次、誰のどの作品を読もうかと思うようになるのね。不思議だ。2000年の頃より、その後の方がインターネットでも沢山表現する人が出てくるから、やっぱり、気になる言葉を知る機会が出てきた。昔の作家の書籍からも今でも使える言葉を知ったり。


仕事で文書を作るとき、こういった語彙を多く抱えているととても助かったりする。同じことを言うとき、同じ言葉が何度も出さなくても、違う言葉を使えると言うメリットを享受できるようになったから。


イライラは自分の気持ちを表現したいと言う要求に過ぎない
いろいろな理由があるのだと思うけれど、いつの間にか、本当にイライラすることがなくなった。そのせいか、本当に我を忘れるような怒り心頭して怒らなくなった。いや、もともと怒り心頭になったことはないかもしれないけれど。


多分、言葉を知ることで、自分の表現方法を広げることが出来るようになったのかもしれない。イライラしてても、そのイライラがどんなイライラなのか、何が気になっているのか、何をして欲しいのか、何がしたいのか、を自分に伝えられるようになったのではないかな?と。


本を読もう。語彙を増やそう。







  • 道具室(アプリとか)
  • 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)




  • 視聴覚室
  • 調達室

B0017XLB02バーテックス(VERTEX) カラビナ ラジット 6mm