思考の目線を上げて行動を促そう


体より思考が優先する
ヒトの行動は無意識に動くことは無くて、思考しながらその実体化したい行いを行動として表しているのだと思います。無意識に行動すると言う表現があっても、それは日頃から頭の中で思いを巡らしていることが体に刷り込まれた結果として、あたかも志向していないに関わらず行動しているように思えるからなのではないかと思うのです。


体が動くより思考が優先するのであれば、日頃の行動を左右するのは思考であってその思考を如何にコントロールするかということが肝要になります。


ネガティブなことを口にしない
ヒトの行動は、自ら発する“ことば”でその人の行動に自己暗示としてバイアスが掛かるのではないかと思います。日頃から愚痴や文句ばかり言う人は、何を見るにしてもネガティブから思考が始まり、ネガティブの中で行動をするものです。


社会に出て、エンジニアになって気をつけていたことのうち、一番大事にしていたことは「3年続けよう。」とココロに誓ったことですが、日頃の行動として「負の言葉を言わない。」と言うこともとても気を使っていたものです。なぜ、「府の言葉を言わない。」と思ったの一つには、当時の上長が(当時)若いワタシを捕まえて愚痴っていたからかもしれません。


門前の小僧ではないですが、社会に出たばかりとは言えネガティブなことを聞けば良い気持ちで居られるわけありません。その上長の前では、聴いている振りはしていたと思うのですが、ココロの中では「(絶対に負の言葉は吐かない...。)」と思っていたものです。


目の前で見ていれば分かります。負の言葉を吐き続けるヒトは、例えそのヒトが良い人でも近づくものではないのだということを。その上長のほかにも不平不満を口にするヒトとプロジェクトになったこともありました。そのときもやっぱり、そのヒトを中心とした周りは他に比べて負の言葉のせいか重力が何倍も重かったように感じたものです。


思考の“目線”を上げる
負の言葉でモノゴトを考えれば、その結果としてあられる行動も共ズレで確実にマイナスになります。思考をするなら、ポジティブにモノゴトを考えるようにした方が、例え、行動の結果が期待と違っていても再試行しようという気持ちになるものです。

思考を考えるとき、やはり、そこには上を見上げると言う“目線を上げる”というように考えることがとても大切なことになります。ヒトは楽な方に物事を考える怠惰な生き物ですから、前を向くだとか上を見上げるようなことはとても負担が掛かるものです。だから、意識しないで日々を過ごすと自然と思考はマイナス側に振れてきて、思考する目線も下がってしまうものです。もう、これはそういうものだ、と思っていたほうが良いのです。


それにさえ気づいていれば、目線を上げることを日頃の習慣として身につけることをしないといけません。何もしなければ、負の言葉を発することになってしまいます。そうしないためにも、思考の目線を上げることを身につけたいものです。


習慣にする最大のハードルを乗り越える
自ら、本当に、自分の思考の目線を上げたいと思うなら、言語化して文字でも図でも何らかの形として自分で思考したモノを具体的な形に表すことです。思考しているだけでは何も変わりません。絶対に変わることは出来ないのです。


よくあるケースは、年度の目標を計画するときに自分の頭の中で少しでも考えているエンジニアは、イメージがあるからちょっと背中を押すと割りとすんなり具体的な目標を立てることが出来るのですが、日頃から自分の目標ややりたいことを思考していないだろうと思われるエンジニアは、いくらインタビューしてもやりたいことが出てこないし、インタビュー側が並べるテーマをそのままオウム返しにあたかも自分が考えた目標のように並びなおして据えても自分の思考を踏み越え、自分の言語として表現していないから、その結果が伴わないのです。


自分の思い、思考の目線を上げてポジティブに考え、それを実現するためには、言語や図などの具体的なイメージで表現するということを“しよう”と思い、行動することで自分のハードルを乗り越えることが必要なのです。そして、その乗り越えたハードルの結果としてのイメージを日常のこととして向き合いその実現に向け、さらに志向の目線を上げ続けることが大切です。